私は日本とアメリカの間がだんだんと険悪になってきた1940年の8月、カリフォルニアのリバーサイドという所で生まれました。そして間もなく始まった日米戦争で他の沢山の日系の人達と共にアリゾナ州のポストンと呼ばれていたキャンプに収容されました。その時まだ2歳だった私は父母兄姉とキャンプ生活を三年近くしましたが、その時のことは全く覚えていません。 1945年、私が5歳の時に私たち一家は戦後の暗く貧しかった日本へ帰っていきました。日本中が物資不足で苦しい生活をしている所に、アメリカから引き揚げてきた一家5人を誰も喜んで迎えてはくれませんでした。私たちの日本での生活は言葉で言い表す事の出来ない位にひどいものでした。食べる物はもちろんの事、学校へ行きたくても洋服も靴もなく、兄と姉だけがやっと学校へ行っているような生活でした。こんなみじめな暮らしの中で、父は体を悪くし働く事が出来ず、その苦しさからでしょうか、お酒を飲むようになり酔っては母に暴力をふるいました。母は朝早くから日の暮れるまで山や畑仕事に行き、私はその母のあとについていき見様見真似で手伝いをしたものでした。このような生活が5,6年続いてから、母はアメリカにいた母の兄を頼って単身渡米し、住み込みで働き、そのお金を日本にいる私たちの生活費として送り続けてくれました。でも、そのお金のほとんどは父の酒代となり、私たちは前にもましてみじめな生活でした。このように、両親の愛に飢え、楽しいことなど一度もなかった子供時代を日本で過ごし、泣く事も笑うことも忘れてしまっているような子供でした。 そんな私に「貴女を愛している。結婚したい」といってくれた男性に出会ったのは、私が19歳の時でした。13歳で母によばれアメリカに帰ってきた私は、『長本』というカマボコ工場を経営している家に引き取られ、働きながら学校へ行かせてもらっていました。その時この工場でアルバイトをしていた彼に出会ったのです。生まれて初めて人に愛された私は本当に幸せでした。彼によい仕事が見つかり、結婚した私たちの新生活は希望に満ち、幸福にスタートしました。子供も次々に3人与えられ、やっとみじめだった幼いころの悲しい思い出が忘れられようとしていた時のことです。仕事が忙しいからといって毎日のように遅く帰宅していた主人が、ある日突然に家から出て行ってしまったのです。主人の裏切りを知った私は気が狂ったようになり、その時何をしたのか、何を言ったのか全く知りません。どの位の間そんな状態が続いたのか分りませんが、ある日ガーデナバプテスト教会の広瀬牧師ご夫妻が私の家を訪ねていらっしゃいました。大分あとで分ったことですが、その頃近所の人に連れられて教会のサンデースクールに通っていた長女のジュンが、母親のあまりにもひどいようすが心配で、教会で泣きながら助けを求めたそうです。 広瀬先生たちが来られた理由も知らなかった私はキリスト教が何なのか全くわからず、初めてきく教えが自分とどんな関係があるのか、何のために私にそんな話をするのか何もかも分らない事だらけでした。その次の週からミセス広瀬とミセス岸山が私に聖書を教えてくださる事になり初めて聖書を開きました。しかしその頃、英語の日常会話くらいはできるようになっていた私ですが、読み書きはむずかしく特に聖書は理解できませんでした。そのことに気付いてくださったミセス岸山が日語部の西本牧師を通し、M姉を私の勉強相手に選んでくださいました。そして今度は日本語でバイブルスタディが始まり、週に一度M姉がうちへ来てくださり,二人だけの静かな聖書を学ぶ時が始まりました.でも悲しいことに日本でもほとんど学校へ行っていなかった私は、ひらがなしか読めず、英語も中途半端、日本語も中途半端という事実に直面したのです。幸いなことに聖書の漢字にはふりがながあるので、どうにか読むことが出来ました。しかし。読めても意味の分らないことばが多く、そのたびにもっとやさしい言葉でわかり易く、時には英語で説明してもらいやっと分るというような、気の遠くなるようなバイブル・スタディでした。初めのうちは気の進まなかった勉強ですが、だんだんその日を心待ちにするようになっていました。 それから二年間、まるでカメが歩くようにスローな進み方でしたが、神様のみことばが私に語りかけてくださっているのが少しずつ分るようになりました。M姉から何度も教会に誘われたのですが、人間を信じられなくなっていた私は人の集まる所が恐ろしくてなかなか決心がつきませんでした。でも、1977年の二月、キリストが私の罪のために十字架で死んでくださり、三日後によみがえり、それによって私が救われたのだということが分った時に、叫び出したいような喜びが私の心をいっぱいにし、信仰の確信をもつことができました。 それから半年後、ガーデナ平原バプテスト教会日語部のみなさんのやさしい笑顔に迎えられバプテスマを受けました。その時みなさんが歌って下さった讃美歌は私の一番好きな讃美歌になりました。 いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とがうれいを 取り去りたもう 心のなげきを つつまず述べて などかはおろさぬ 負える重荷を (讃美歌312番) これからも問題はいろいろ起こるでしょうが、どんな事があっても神様だけは裏切らない。神様はわたしを決して見捨てない。生まれて初めて知った本当の愛に、私は喜びと平安でいっぱいになりました。 |