III.救いの証し - 岡田由美子 - 2001年9月

 私の両親は仲が悪く、よくひどいけんかをしていました。 

 私が中学生の時、母は家を出て帰ってこなくなりました。 

 父もそのうち1ヶ月に1度、生活費を渡すために顔を合わす位になり、ほとんど私と当時小学生だった妹の二人で暮らすようになりました。その頃は「どうして母は私たちを捨てて出ていってしまったんだろう。」と毎晩のように泣いていました。自殺も試みましたがそういうときに限って父に見つかって死にきれずにいました。 

 大学に入学してからは授業の合間に朝・昼・晩と違うアルバイトをしてお金を貯めアメリカに留学することになりました。表向きは英語を理解できるようになりたい、というのが留学の目的でしたが、銃社会アメリカの治安の悪い場所へ行けば一思いに殺してくれるのではないか、とそんなこともぼんやりと考えていました。妹は叔母さんの家にあずけられました。 

 そして1983年、フロリダ州タンパの大学に通い始めました。日本での暗い生活から離れ、クラスも寮での生活も毎日が楽しくて楽しくてこのまま時が止まったらいいのに、と思うほどでした。そのうち、友人から「ユミはISIに入っているか?」と聞かれました。ISIというのはキャンパス内にオフィスがある、留学生のケアをしているボランティア団体でした。私はまだ入っていなかったのですぐに登録をし、ISIの活動に時々参加するようになりました。 

 週末になるとボランティアの人の家で行われるパーティに招待されます。そこには今まで私が全く知らなかった愛に溢れた家庭というものがありました。食事の後に何人かの人が祈っていたのでクリスチャンなんだな、とわかりました。 

 学期が終わり、友人からニューヨークへムーブしないか、と誘われ好奇心もあって引越しする事になりました。ニューヨークへ出発する前の夜、学校のカフェテリアで食事をしていたらISIで大変お世話になったシェリングさんという方に偶然お会いして引越しのことを話したところ、「ニューヨークはとても危険な町で心配だ。知り合いがいるから、彼女のところへ行きなさい。」と言ってその方の住所と電話番号を教えて下さいました。 

 翌日、到着したニューヨークの空港からすぐにそのマリオンという人に電話をかけてみました。すると彼女のルームメイトが電話に出て、今マリオンは出張にでていてしばらく帰ってこないけどその間部屋を使わせてあげるから来たら、と言って下さり、彼女のアパートに居候することになりました。アパートに到着しドアが開いて驚きました。ルームメイトの彼女はメイミー・鎌田といって日系人だったのです。(それまで留学生以外でほとんどアジア系の人と出会えなかった。)同じ日本人ということで私達はすぐに仲良くなりました。彼女は日本語と英語の新約聖書をプレゼントしてくれました。 

 昼間メイミーが仕事に行っている間、小説を読むようなかんじで聖書を読み始めました。一つの福音書を読み終えてパウロの手紙のどれかだったと思うのですが(残念ながらどの聖句だったか覚えていません。まさか数年後に「証し」などというものをするとは思っていなかったので)ある箇所を読んだ瞬間、言葉で現せないほどのものすごい光が頭上に降りてきました。その光のなかに包まれた時、今まで何をするにも自分中心に考えてやってきた汚さ・醜さがはっきりとわかり、号泣して「神様、ごめんなさい。」と何度も謝りました。そして神様に自分を捧げきりたい、今神様のために死んでも全然惜しくない、もし生かしていただけるなら私の人生の1分1秒でさえも何か神様のために使っていただきたいと思いました。神様の赦し、このうえない愛に触れさせていただき涙が止まりません。それは何分くらいの出来事だったか全く覚えていませんが私の人生を完全に変えてしまいました。夜、メイミーが戻ってくると聖書の事、天国の事、イエス様の事を質問攻めです。次の日曜には彼女の教会に行って信仰告白をしました。

 すぐにでも洗礼を受けたい気持ちでしたが、盗難にあったりして学費も底をついていたので日本に帰ってからすることにしました。帰国後、元の大学に復学し、またアルバイト三昧の生活に戻りました。家の近くにある教会に行き始め洗礼クラスで学ばせていただいていたのですが、学校のクラブ活動(バトン部)もあり、週末は試合のためなかなか休みを取れません。毎週教会に行かなくちゃ、と思いながらもクラブに行かないと他の部員のみんなに悪いし…ずるずると行ったり行かなかったりで洗礼はおあずけのまま不信仰生活(?)を4年間ほどつづけてしまいました。 

 やがて就職活動の時期となり、香港映画に感化されていた私は無謀にも香港に行って仕事をさがそうと、単身香港へ旅立ちました。このころは自分の夢のため神様をおそれることを軽んじていたのです。教会に行って聖書を読んではいましたがお祈りも自分勝手なものでした。1ヶ月半ほど日本人を採用してくれそうな会社をいろいろ訪問したところ、ある不動産会社が雇ってくださることになりました。 

 そして労働ビザ取得とパスポートを更新するため日本に一時帰国、必要な書類を提出し、新しいパスポートを受け取るまで2週間という時、私は原付バイクに乗っていて交通事故に遇ってしまったのです。頭部・顔面打撲の重傷で意識不明のまま救急病院に入院させられ、やっと1週間後トイレに行ったときは鏡の中に映ったホラー映画のゾンビのような自分の顔に驚いて倒れそうになりました。そのとき、これは神様が間違った道に進もうとしていた私を引き戻してくださったんだ、ということがわかりました。ニューヨークであんなにはっきりとイエス様の愛を示され、泣いて悔い改めたのにいつの間にかまたこの世の欲に捕らわれていた私を軌道修正してくださったのです。そして体に弱さを与え神様を第一にして従うしかない状況に追い込んで下さいました。 

 2度の入院後、自宅療養になりました。後遺症がひどく体重も50キロ近くあったのが35、6キロにまで減ってしまい、ほとんど一日中横になっていました。就職や結婚といった将来のことが全く見えない中、ただ祈る事しかできず、いつ頃からか「神様、もしあなたのみこころならばパートナーを与えて下さい」という祈りをしていました。そんな祈りを始めてからほどなく、小学校二年の時の担任の先生から久しぶりに会いたいという電話がかかって来ました。(担任の時から17年経っていました。)先生のご自宅で楽しくお話をしていると、向こうの方で先生のご主人がパチパチ写真を撮っています。なんだろう、と思っていると先生がお見合いの釣書を持ってこられ、そのお見合いの相手はロスアンジェルスで働いている先生の息子さんでした。私は祈りが聞かれたと信じてロスへ行くことにしました。 

 会う前は神様が与えてくださった人だから悪い人でも感情的に好きになれなくても結婚するつもりの覚悟でした。その相手が今の主人です。当初、イエス様が今まで私にしてくださったことを彼に話しても不思議そうに聞いていましたが(無理もない話です)聖書をプレゼントした時「結婚したら毎日一緒に聖書を読んで勉強しよう」と言ってくれたのでやっぱり神様の導きだったんだ、と確信して結婚しました。自分の力では絶対に見つけられない最高のパートナーが与えられ感謝しています。 

 1989年10月結婚、12月メイミー鎌田の薦めでこのガーデナの教会に通い始め、翌年4月に夫婦で洗礼を受けることができました。私の通ってきたものが試練といえるかどうかはわかりませんがそれによって救いに導かれて本当に感謝です。また、メイミーやマリオン、ISIのスタッフ、日本で行っていた教会の皆様などたくさんの方のお祈りが大きな助けであったと確信しています。これからも神様から離れず、ずっと一緒にいたいと心から願っています。 

今 私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)