II. 救われた喜び - 中島賢 - 2002年7月

愚かで罪人であった私のような者に、こうして皆さまの前で証しをさせていただく機会を与えてくださった神様と皆さまに感謝いたします。 

 皆さまから数え切れない程、沢山の施しを賜り、「イエス様の十字架を選び信じて救われた人々」は何で素晴らしいのだろう・・・そう思えたことが、私をクリスチャンへの道へと導く大きな大きな要因の一つです。「私もこういう人々のようになりたい!」・・・そのように思っておりました。 

 これまでの私といえば、聖書に記載しておる「愚かな罪人」そのものでした。聖書を真剣に読むようになってからその事実を知り自分にがっかりしたものです。自己中心的で、高慢な心、大言壮語する口、自分の怒りをすぐ表し、軽率に話して人を剣でさす。酒をよくのみ、見た目をつくろう。欲にはきりがなく、他人を悪く言う。いつか偉大な者になろう、、、、、と思っていた気持ちもありました。 

 この5月中旬にそれに気付いてから突然思い出して手にしましたのが、「モーセの導きと選択」という一枚の紙でした。 大谷先生がこの2月に礼拝の時説教された際、お配りなされた紙です。当時はピンとこなかったのですが、あらためて見ると、「これだ!自分の歩むべき道は、、、」と思いました。そこにはこう書いてあります。「英語部ではMore than Survivorsと呼んでいますが、私たちは『信仰の勇者』と呼ぶことにします。私たちの人生もモーセと同じように導いてくださるのではないか、、、、(1)偉大な者になろうとする時代(2)自分の限界と弱さがわかる時代(3)神様のご計画を遂行する器として用いられる時代。あなたは今、どの段階におられますか、、、、」 

 (3)のように、これからこのような人生をおくれたら本当にうれしいし幸せ、、、そう思いました。 

 最終的に「イエス様の十字架を選び信じ、クリスチャンになる」と決心したのは、神を恐れたことです。この数ヶ月私共家族には本当に驚くべきことが次々に起こりました。妻がオリーブ会の英会話でそれらの証しをしましたところ、英語部のMr.Tanakaが「それは神様があなた達にタッチしてあなたを試している」と説明してくださったのにも驚きました。Gardena5Kマラソンの時には、ケガで全く走れなかった足が、レース前日教会の前で祈りましたら突然走れるようになりました。歩くのさえ困難だった足がです。レース翌日より再び走れなくなりましたが、、、、。その他いろいろありますが、これまでの人生をふり返りますと、「神の力で行われた」と考えずにはおれない数々の出来事がありました。つまり、自分の力ではどうしようもない事が誰かの力でおきる、自分しか知らないはずの心の中を裁く誰かがいる、、、、それが神様であったと思います。   

 最近は本当に心の中が平安に満ち、特に不平不満もなく欲しがるものもなく、不安もありません。とても幸せです。うまく言い表せませんが、「救われた」と思っております。このような気持ちになる人が、どんどん増えていったならばいいなあと思います。それに役立ちたいとも思います。 

 ですが、今は私にとってスタート地点にしかすぎないと思っています。イエス様、神様によって救われたことを体験しただけに、この信仰を持ち続けることは強い心、自分に打ち勝つ心が必要なのではないかと思います。また思ったのみではなく、いつも行動に現さなければならない、、、、そう考えますと、表面ではなく心の中が強い人が、このイエス様の十字架を選び信じるクリスチャンなのだと思い始めております。「宗教にすがるのは弱い人間だから!」とこれまでずっとずっと思ってきました。人目を気にすれば、とても「宗教にすがる」ことなど出来ませんでした。間違いに気付いてよかったです。私は先に申し上げました通り、まだクリスチャンとしてスタート地点です。これからバプテスマを受けるのですから、まだ罪人としての身体は葬られておりません。ですが、、、まだまだわからないことだらけですが、バプテスマにより水より上がった際、とてもとても幸せな思いがさらに増すのでは、、、と今この時感じております。 

 最後になりましたが、神様の導きによりこの教会へ足を運ぶことができたきっかけを作ってくださったデービッド三好兄とそのお母様であられるジーン三好様に心より感謝いたします。また私共家族をいつも暖かく迎えてくださるこの教会の皆さまに心より感謝いたします。