I. 私の信仰の歩みとクリスマスの出来事 - 尾谷則昭 - 2003年1月

 私は1970年のクリスマスに受洗しました。生まれたのが、1950年で、島根県の山奥の浄土真宗の世界、お寺の日曜学校で育てられました。 

 下関の大学の2年の時、講義を担当しておられた教授との出会いが私をキリスト教の世界へと導きました。その教授は、大学の近くで伝道しておられたブック宣教師と共働して、礼拝の説教も担当しておられました。その教授の講義には何か引き付けるものがあり、研究室に話しに行ったりしているうちに、「私はクリスチャンですが、一緒に教会に行きませんか。」と声をかけられました。 

 私は長男でしたし、田舎の風習もあり迷いがありましたが、この恩師の引き付ける"何か"を究めてみたい思いに駆られ、教会の門をくぐりました。 

 実は、ブック宣教師ご夫妻は昨年日本から帰られ、現在Uplandに住んでおられます。大学在学中の3年間しかその教会には行かなかったのですが、今年のThanksgivingにご自宅に招かれ、今週のクリスマス礼拝はご夫妻を送り出したUpland Brethren In Christ Churchで共に守ることができました。特にアドベント第4週のろうそくに点火し、ブック宣教師ご夫妻と教会にお礼を述べることができ、心に残るクリスマス礼拝でした。 

 このようなクリスマスを迎える中で、今年、特別に気づかされたことがありました。クリスマスの出来事は聖書では、マタイとルカの福音書に記されています。今夕はルカの2章1節から20節によってご一緒にクリスマスの出来事を考えてみたいと思います。読み上げますのでお聞きください。 

 私が注目したいのは、イエス様のお誕生に直接関わった人の数です。 

 ルカでは、その前にザカリアとエリサベツが登場します。そしてマリアとヨセフ、それに羊飼いたち、多分5~6人でしょうか。マタイでは星に導かれて旅をして来た博士たち、3人でしょうか。ざっと見積もって、14~15人程度です。 

 今当然のことのように全世界がお祝いしているクリスマスの出来事はほんの一握りの人たちにしか示されなかったのです。 

 私たちは毎日テレビ、新聞、ラジオ、インターネット等から発せられるうんざりする程の情報の洪水の中で生活しています。しかし、神さまは私たちに大切なことを伝える時、そのように華々しくではなく、ひっそりと、しかもうっかりすると見逃し、聞き逃すかもわからないような方法で伝えられるのです。クリスマスの出来事はそのことを如実に伝えています。 

 この世はいつも喧騒に包まれています。しかし、私たちは心静かに、神様からのメッセージを聞き漏らすことのないよう、心して耳を傾けていたいと思います。 

 (2002年クリスマス・イブ祝会での話)