II. 昼となく夜となく主の愛に守られて - 井出結貴 - 2003年2月

 私は生まれた時から教会につながる祝福にあずかってきましたが、その歩みはまさに"のろまなカメ"そのものです。主の前にも、皆さまの前にも恥ずかしいものですが、こんな信仰の歩みの遅い私をも、主は祝福してくださるという主の「忍耐強さ」を伝えることになればと、ささやかな私の歩みをお証しさせていただきます。 

 私の信仰のルーツは、父方の祖母にさかのぼることになります。祖母はまさに炎のような信仰の持ち主でした。特に晩年は伝道活動も著しく、家庭集会を開き、夜明け前2時に起き出しては空が白むまで、肉親に始まり、信徒の方々、その他多くの方々や一人一人の為に、涙をもって祈ることが日課でした。この祖母の祈りと、やはりクリスチャンであった両親の祈りの中に自分はある、という実感が、どれほど私の心を守ってくださったことでしょう。めったにない祝福を、当然のことのように受けていました。 

 思春期に入ると、私は今まで自分に与えられ続けてきたこの価値観をいったん崩し、自分の手で再構築してみたい衝動にかられました。小学校3年生の時にサンデースクールに躓(つまず)いでしまい、以後ずっと両親と共に大人の礼拝に出席していた私が、次々に浮かぶ疑問を投げかける相手は父でした。父は実に私が尋ねること一に対して十、いや百といっても過言ではない程の熱心さでみ言葉をもって、また自分の霊的体験をもって語ってくれました。結局、かつて哲学を専攻した父が、あらゆる角度から考察したのち、体験によって語るに至った「生ける神の御子主イエス・キリスト、この方の他に真理はない!!」という確信に満ちた言葉によって、私もクリスチャンになろうという気持ちにさせられていったのです。東京の大学に一人で上京したことが受洗のきっかけとなりました。(他派だった為、正確に言うと幼児洗礼の後の"信仰告白"をしたことになります。)日曜の朝、決まったように「さあ結貴ちゃん、教会に行くよ。」の声が掛けられなくても、自分は生涯教会に通うんだ、という決心を表す告白でした。 

 今から思うと聖書の理解も不十分で、自分の十字架を負ってキリストに従うということもピンとこないままの受洗でした。ですから東京でそのまま就職し、世間の荒波にもまれ始めると、ただでさえ田舎者の私は、もろくもノックアウトされてしまったのです。み言葉に親しむことなく、ただ日課としての小さな祈りをしていたくらいの信仰では耐えられませんでした。「疲れた…。眠りたい…。」がいつも先行し、簡単に教会に通う回数が減っていきました。その代わり、この世的な方法でストレス発散を試み、聖書に禁じられた大きな過ちも犯してしまいました。どこかで持っていた愚かなプライドは崩れ去り、劣等感に苛(さいな)まされ、男性不信にも陥りました。しかしクリスチャンの名を汚すようなこんな私でも、主は手放さないでいてくださいました。

 ある時、前向きに気分転換を図ろうと、下宿生活の後続いていた5年間の姉との二人暮しに終止符を打ち、一人暮らしを決めました。新居は両親を安心させる為、教会から徒歩2分の所を選びました。さすがに遅れても毎週教会に通う生活が戻り、本棚に飾られたままになっていた父から送られていたキリスト教の書籍にも手が伸びるようになりました。やっと得た一人の空間が、思う存分祈る時間を与えてくれました。疲れる生活は変わらなかったけれど、ここに来てやっと神様を身近に感じられるようになったのです。自分の為にイエス様が死なれたことが、頭ではなく、心で感じられるようになったのもこの頃からでした。 

 そんな時クリスチャンの主人との出会いが与えられ、予想もしなかったアメリカでの生活が結婚と同時にスタートすることになります。間もなく子どもを授かり、今度はどんどん成長する我が子に対して「何よりも信仰だけは持って欲しい。」と願うようになりました。しかしそう思う時、脳裏にかの日の父の姿が浮かぶのです。「私はこの子が青年になった時、多くの疑問にああして答えることができるだろうか・・・。」答えはもちろん否。私は自分の信仰が、今だ湯水に浸かったような、主が口から吐き出したくなるようなものであることを自覚していました。「このままではいけない・・・。もちろん神様は私以外の方も通じてこの子を導いて下さるだろう。でも何より今のままの私では、この子の前に大きな躓きの石となってしまう・・・。」そう思っていた頃、神山晴子前牧師夫人より、サンデースクール教師のお誘いがありました。日語部サンデースクールに対する認識も全くないままに、前に出されたものは神様から出されたものとして引き受けさせていただきました。それ以来、子供達と共に聖書を学び直し、子育てを通じて神様の語っておられることが、より実感として解るようになりました。これもひとえに信仰の浅い私を温かく見守ってくださったサンデースクールの先生方、み言葉を取り次いでくださった牧師先生方、歴代の兄弟姉妹、両親の祈り、また主人の支えによるものと感謝しています。 

 このように回りに置いて辛抱強く導きつづけてくださった(そしてこれからも導いてくださる!)主なる神様を賛美する者とされました。 

 最後になりましたが、私の名前は「結貴」と書いて「ゆき」と読みます。まだ私が母の胎内にいた頃、父が新潟に出張していて、降る"雪"を見て考えついたと聞きました。貴き方(イエス様)に結ばれて、貴き実を結ぶように・・・との願いが込められています。この世の務めを終えるまでに、この名前にふさわしい者になりたいと願っています。