キリスト教徒であられるDavid Miyoshi(デービッド三好)さんのお母さんはDavidさんのことをいつも思いやり、彼のクリスチャンの道に過去も現在も深い影響を与え続けています。「母はクリスチャンとして私のその道にもっとも影響を及ぼしている人物です」 Davidさんは自分の母親を深い信仰心を持った度胸のある女性だと言います。Davidさんのお母さんJean Miyoshi(ジーン三好)さんはGVBCの活動に何年も貢献していることで私たちの間でもよく知られています。 〈祈りによって守られた〉 残酷なベトナム戦争でDavidさんを守ったのはJeanさんの祈りでした。日系三世の海軍大尉4人のうち戦争から生きて帰ってきたのはDavidさんだけでした。彼は母親や他の人達の祈りを感じ、主がその祈りに忠実に応えて下さったのだと認めています。 〈ネバダ州からカリフォルニア州へ〉 Davidさんとご家族はDavidさんが4歳のときに出身地であるネバダ州のOvertonからカリフォルニア州のLa Puenteに引っ越してきました。 Miyoshi家は1958年にGardenaへ引っ越すまでロサンゼルスの南中部に住んでいました。Gardenaに引っ越す前、Davidさんは母親と2人の弟さんのVictorさんとRobertさんと一緒にParamountのClearwater Baptist Churchに通っていました。そのときの牧師はEishi Hirose氏でした。 Gardenaへの引越しにともないMiyoshi家は全員、Davidさんが日曜学校に通い主を受け入れる場所であったGVBCに通うようになります。 〈マッスルカー・マニア〉 Davidさんが10代の頃社会で自分の位置を確立することにより夢中だった時、Davidさんのお母さんは学問に従事するよう勧めます。 「興味があったのは車と女の子だけでした」とDavidさんは正直に打ち明けてくれました。Gardena High SchoolでDavidさんと別のもう1人の生徒が、最新・高値・特注・低車体という高馬力の車を運転している生徒として有名でした。 車マニアの頂点を極めDavidさんはジャガーで学校に通っていました。Davidさんのお父さんのJoe Miyoshiさんは家業のAvalon Auto Partsで一生懸命働くことを条件にどんな車にでも乗らせてくれるという約束を守ってくれました。 高校を卒業後、母親のアドバイスに従いDavidさんはEl Camino College(ECC)に通います。Davidさんは大学にまったく興味がなく、はじめの1年は平均グレードがDというものでした。 Davidさんが自分の将来についてあれこれと考えたとき、抑えきれない疑問がわいてきました。「自分はこの人生でいったい何をするつもりなのだろう」。Davidさんは大学にもっと真剣に通う決心をし、勉強に取り組みはじめました。 宿題のリーディングを読破していくうちにDavidさんは学ぶことがおもしろく感じるようになりました。そして大学がそんなに難しくないことに彼自身驚きを覚えます。グレードはめざましいほど上がり、そこからDavidさんはUSCに入学しました。 USCでもDavidさんはがんばり続けました。優等生名簿に名を連ね、全国的な栄誉学生の会であるBeta Gamma Sigmaのメンバーでもありました。そして1966年に財政学の理学士(B.S)を優等生として卒業した後、Davidさんは米国海兵隊に志願します。バージニア州Quanticoにある将校候補者の学校に通い、少尉として卒業したのです。 〈敵の姿〉 海兵隊として精神的にも肉体的にも厳しい生活に耐え抜く内なる強さを神はDavidさんに与えました。 将校候補者の学校で中国の帽子をかぶらされステージに立たされて「これが敵の姿だ」と紹介されたこともあります。軍曹の1人、Keyes軍曹はDavidさんを状況にうまく対応できる人物だと言って誉めたたえました。「君はきっとすばらしい海兵将校になるよ」 その日からDavidさんは仲間の海兵隊員から偉大な尊敬を持って接されることになります。 〈神への近づき〉 ベトナムへ出向した1969年の年、Davidさんは主とさらに近づくことになります。敵の待ち伏せやロケット弾の攻撃といった生きるか死ぬかの状況に放りこまれ、彼は死が差し迫っていることを感じていました。ベトナム戦争はDavidさんの信仰心や内なる自制心を強めただけでなく、海兵としての勤めを終えた後どういった職業に従事するのかを気づかせてくれました。 祖国へ帰省した後DavidさんはサンフランシスコにあるHastings Law Schoolに通い1973年に卒業、法学博士号を取得しました。 〈ビジネスと法律〉 国際ビジネス法に興味があったDavidさんはその後日本にある早稲田大学に日本語の勉強に渡ります。その間ビートルズのポール・マッカートニーが日本で麻薬所持の疑いで逮捕された時の弁護で有名な日本人のTasuku Matsuo弁護士の元で働きます。 〈輝子さんとの出会い〉 日本で神はDavidさんに将来の奥さんとなるTeruko(輝子)さんとの出会いを与えることになります。Davidさんの良い奥さんであるだけでなく、輝子さんはそれぞれ22歳と21歳になられる2人のご子息、MarkさんとBrandonさんの献身的な母親でもあられます。現在息子さんはお2人ともお父さんの母校であるUSCの学生です。 結婚の後、DavidさんはHarvard Universityのビジネススクールへ通い、1978年にM.B.A.を取得して卒業しました。Davidさんは1984年に自ら個人の事務所を開くまでに日系アメリカ人の法律事務所Mori and OtaとMorgan, Lewis, and Bookisにそれぞれ勤めました。そして国際ビジネスへの貢献を評価され、1995年イギリスのケンブリッジにあるInternational Biographical CenterによりDavidさんは "International Man of the Year"に選ばれました。Davidさんの事務所、三好国際法律事務所はロサンゼルスのダウンタウンウィルシャー通り沿いに所在しています。 〈神の存在が必要であることに気づく〉 成功した弁護士としてDavidさんは長い時間働き、彼の職業に完全に没頭するようになりました。これが1989年の発作につながることになり、Davidさんは神にさらに近づいたのです。 発作はある日曜日絶頂を極め、DavidさんはHarbor Freewayを運転中胸に圧迫を感じて息が詰るのを感じました。Harbor General Hospitalに運ばれましたが医者はどこも悪い所を見つけることができず、ただの心臓発作と判断されました。その後約数週間、熱や汗の身体的症状でDavidさんはなかなか仕事に復帰できない日々が続きました。 〈なにかが欠けていた〉 この期間Ron Matsuda牧師がDavidさんの世話をしていました。「クリスチャンであったとはいえ、私の人生にはなにかが欠けていた」とDavidさんは悟ります。彼は落ち着ける静かな時間をできるだけ見つけるようにしては祈祷を通してさらに主を追求することに努め、それが主との個人的な結びつきの始まりとなるきっかけとなりました。 現在Davidさんは聖書学のクラスを受講し、輝子さんと日語部の活動に参加し、コーラスで合唱することを大いに楽しんでいます。 〈すべてを手に入れることより魂を救え〉 「今現在すべてを手に入れても魂を救えなければ意味がない」という有名な聖書の引用があります。この引用がDavidさんに今現在のことばかりにとらわれないで、天国に導かれ永遠の命を授かることに心を集中することを気づかせてくれます。 「この引用で人生にバランスのよいつりあいがとれるようになります。あなたはビル・ゲイツにだってなれますが、死の前では彼だって他の人と何のかわりもないのです」とDavidさんは説明してくれました。 クリスチャンの道は長く堅実なものだと認識のうえで、Davidさんは自分を応援し常なる主の追求に導いてくれた母親のJeanさんに深く感謝しています。 Davidさんは確信して言います。「私の人生に最も深い影響を与えて続けているのは私の母親なのです」 |
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