IV. 救いの証し - 鍵田雅義 - 2003年7月

 私はこの世に生を受け60年余り、健康にも家族にも恵まれ大きな挫折も無く過ごして来ました。大学を卒業後、就職結婚と幸福な生活を送って来ました。また多くの素晴らしい友人に恵まれていることを感謝しております。 

 しかし、多感な少年、青年時代には両親の不仲の為、思い悩むことも多く、自分の子供達にはこのような思いをさせたくないと思っていましたが、幸い家内と巡り合い、非常に幸福な家庭を築く事が出来ました。3人の子供に恵まれ長男長女は既に結婚し、長女には昨年男子が授かり、私にとっては初孫で、見るたびに成長して可愛くなって行くのを見る事は、本当に大きな喜びです。 

 さて、キリスト教との出会いですが、高校の時に聖書をギデオン協会から戴いて、その時毎日一章づつ読む習慣をつけると良いと言われたので読み始めましたが、最初のマタイによる福音書一章でアブラハムの子孫からはじまり17節でキリストが14代になるという所あたりで眠くなってしまうような事で、長続きしませんでした。 

 1971年に会社の仕事で渡米、ミシシッピー州のWaynesboroという小さな町の工場のPlant ManagerがMethodist 教会のOrganistであり、4ヶ月の滞在期間、毎週教会に行きコワイアにも参加しました。特にキリスト生誕の12月は特別な賛美の演奏会があり、クリスマスイヴにはOh! Holly Nightのソロもやらせてもらいました。牧師のお説教は、渡米したばかりで、南部訛りの英語は語学レコードで覚えたものとは異なり、聞き取るのが精一杯で、内容の細かいことは覚えていませんが、気持ちが軽くなった気がしました。この小さな町の人達は非常に親切で、毎週日曜日の礼拝やお祈りが生活の一部になって、神様に祝福されキリストと共に歩んでいるという事を肌で感じる事が出来ました。 

 帰国後、神戸平安教会(神戸市灘区)に通い始めた頃に、家内と知り合い結婚致しました。この結婚式で牧師から戴いた聖書の御言葉がローマ人への手紙12章9節―18節で、その中の{愛に偽りがあってはいけません}を結婚生活の糧として来ました。 

 その後、アメリカに駐在して、時々友人に誘われ教会に行って、自分の家庭や仕事で、神様のお恵みを受けている事は、折に触れ感じておりました。

 駐在を終えて帰国したものの、狭い窮屈な日本を離れ、もう一度アメリカで仕事をしたく2000年5月に、勤務先を早期定年退職し、単身アメリカに帰って来ました。 しかし、途中で仕事が挫折し、退職金も減って行く中で、日本の家内よりお金の事は最悪家を売れば良いのだから、一人で悩まないようにと励まされましたが、自分が会社を辞めなければ家族に心配を掛けないで済んだのにと思うと焦る一方で、大学の友人達が一流企業の役員になって行くニュースを聞く度に、本当に自分の軽率さを悔やんだものです。そんな中で現在勤務している会社の社長と10年ぶりに偶然出会い、仕事をする事になりました。 

 2001年10月にTVのハーベストタイムでGardena Valley Baptist Churchの存在を知り、男子会やコアイアにも参加し、当教会に通い続けて来ました。これまで、「男は黙って自分の道を切り開き耐え忍び神様に頼るのは女々しい」の信念でやって来ましたので、自分の罪とか神様に背を向けているという意識はありませんでした。しかし大谷先生より「自分の罪を認め、神様に顔を向ける事で悔い改め、神の子イエスキリストが、あなたの罪のために十字架に掛かって死なれ、葬られ三日目によみがえれたことを信じられますか」と聞かれ、しばらく考えた後、これからは神様にお任せし、キリストを信じて、自分の心の中に受け止めて生きて行こうと決心しました。大谷先生より、{あなたは救われました}と言われ、本日(6月29日)洗礼を受ける運びとなりました。 

 今回の心臓疾患の早期発見や、結婚生活、家族、仕事の事などなど、神様の恩恵を受けて来ましたが、これまでの60年に区切りをつけ、神様のお導きによって新しい人生を歩んで行きたいと思います。

 30年以上も前にミシシッピー州で素朴なアメリカ人が Jesus Christ is always with us. と言っていたことがこれから体験して行けると思うと感謝で一杯です。 

 まだまだ信仰の緒に付いたばかりで、これから迷うことも多いと思いますが、大谷先生、多くの信仰の諸先輩に助けられて自分の信仰を深めて行きたいと思っております。