VI. 救われるまでの証し - 森本みどり - 2003年 11月

 私は1985年5月26日、天野先生より洗礼を授けていただきました。日にちまではっきりと覚えているのは、その日が私の誕生日だったからです。当時、洗礼式は年に2回しかなく、自分の誕生日が日曜日で、しかもペンテコステの日が洗礼式というのは本当に恵まれていたと思います。 

 私は洗礼はまだ早いと思っておりましたが、「誕生日で、ペンテコステの日に洗礼式があるなんて、滅多にないことだよ。聖書を全部読んでなくったって、信じたのならそれでいいんじゃないの。」と、受洗を勧めてくれたのは、未信者の主人でした。 

 主人は小さい時から、母の影響で黎明教れいめいきょうという神道を信じておりました。実家は代々、天理教信者で、父は教会の長をしており、家では黎明教の集り、天理教の集りでいつも賑わっていたそうです。私は無宗教者でしたが、結婚してからは黎明教のお守りを持たせられ、日本に帰国する度に、黎明教の集会に連れていかれました。けれども、こちらにいる時は何も祭らないし、こちらの黎明教会にも、天理教会にも、行きませんでした。主人も感化されて無宗教者らしくなっておりましたが、それでも常に私に何らかの宗教を持った方が良いと言っておりました。 

 主人と結婚してから、長女も生まれ、家も買い、幸せいっぱいの生活が続きました。そして次女が生まれました。次女は1ヶ月早く、約3.5パウンド(1500グラム)しかない、未熟児で生まれてきました。しかも心臓に欠陥がありました。また、肺から心臓への動脈が繋がっておりませんでした。 

 娘はすぐに肺動脈をつなげる手術をしなければ、2,3日しか生きられないとの説明がありました。しかも、体重がせめて6パウンドなければその手術に耐えられないということでした。ちょうど少し前に開発された薬を使って体重が6パウンドになるまで待って手術を受けるか、または自然にまかせるか、と担当医に問われました。その成功率はしかし、50%以下ということでした。 

 私たちは生きる可能性があるのなら、お金がかかっても手術を受けさせたいと思いました。その薬を点滴で打ちながら、いろいろと精密検査が始まりました。すると、他にも異常があり、たとえ手術が成功しても重度の障害児になることが分かりました。担当医からは治療を続けるか、延命装置を外して自然にまかせるか、の選択を迫られました。私たちはどうしたら良いのかわかりませんでした。 

 その時、主人が教会へ行こうと言いました。それも、天理教や黎明教の教会ではなく、キリスト教の教会へ行こうといったのです。このガーデナ教会では、その3年前に永住権の申請のために、結婚証明書が必要となり、天野先生に二人きりの結婚式を挙げて頂いておりました。天野先生とは3年ぶりでしたが、覚えていて下さって親身になって祈ってくださいました。そしてイエス様のこと、天の御国のことを話してくださいました。 

 私達はもしかしたら、娘は天の御使いではないかと思いました。そして、神様は私達を教会に導くために、遠大な計画を立てていらっしゃると思いました。 

 この教会で結婚式を挙げたことに続く全てのことは神様のご計画のうちだったのです。

 私達は、祈り、聖書を読み、天野先生のお話しを聴いているうちに、いずれ私達もこの世での旅を終えて、娘のいる場所に向かい、そこで、娘と再会し、再び共に今度は永遠に生き続けることになる、という確信を得ることができました。 

 延命装置を外して2日後、娘は天の御国にいきました。この世での娘の命はたったの7日間でした。その日、御用でお留守だった天野先生の代わりにロン・松田先生がUCLAの病院に駆けつけてくださいました。 

 担当医から今後の医療技術向上のために、娘の心臓手術をさせてもらいたいという依頼がありました。もう死んでしまった娘ですが、体に傷を付けたくないというのが私達の思いでしたが、松田先生と祈っているうちに、これは娘がこの世に生まれてきた使命ではないかと思わされました。 

 担当医は生きていると思って、手術をさせていただきますといってくれました。死後硬直が始まるまでに体が柔らかいうちに手術をしなければなりません。「一刻を争う未熟児の心臓手術は、とても貴重な体験となりました。」と後で、担当医に感謝されました。その後、UCLAや東大で、乳幼児の心臓大動脈離脱結合手術に初めて成功したとのニュースを聞いて、あの時の医療チームかななどと思い、また、娘がお役に立てたことを嬉しく思い、神様に感謝しました。 

 ところで、その手術の間、松田先生はずっと一緒にいてくださり、祈り続けてくださいました。天野先生といい、松田先生といい、なんと良い人たちなのだろうと思いました。それまでに会った宗教家と違い、こんなに親身になってまるで自分のことのように心配し祈ってくださるなんて、この先生方の信じているキリスト教についてもっと学びたいと思いました。 

 それから、教会へ通うようになり、聖書クラス、夜の祈祷会と夫婦で通いました。そして私だけ、先に受洗しました。その後、同居するようになりました今は亡き主人の母と、私の母とが同時に、受洗いたしました。子供達4人も全員受洗し、英語部の方に集っております。また、主人の兄が日本の京都の医療老人ボームにおりますが、隣が教会で、そこの青年達が迎えにきてくれて、車椅子で礼拝に出席するようになり、主を受け入れました。義母がガーデナの教会で救われた事を感謝し、主人にも時々御言葉を手紙に書いて送ってくれております。 

 今日は大谷至美姉妹のお父様の洗礼式ですが、姉妹とお母様は実に35年間もお父様の救いのために祈られてきたと伺い、私も勇気付けられました。これからも、家族のために祈っていきたいと思います。