III. 身代わりとなったイエス様を知って - 浜田博昭 - 2004年4月

 大阪生まれの母と日系三世の父の次男としてトーランスで生まれた僕は、小さい頃は家が無宗教だったせいもあり、神様のことはわからないまま育ってきました。そんな僕が始めて教会に行ったきっかけは、中学三年生のころ友だちになった一人の女の子に、「イエス様って知ってる?」と尋ねられたことでした。イエス様の名前すら知らなかった僕を、その友人は教会へ誘ってくれました。そして金曜日の夜ユースの集会があるというので連れて行ってもらいました。 

 そこは韓国系の教会でした。行ってさっそく「イエス様って、どこにいるの?」と聞くほど、当時の僕は神様やイエス様のことを何にも知りませんでした。 

 歌を歌ったり、聖書のクラスに参加して感じたことは、ここには何か奥が深いものがあるぞということでした。そこで、もっと知りたいと思った僕は、次の日曜日の礼拝に友人と一緒に出席しました。ところが、礼拝は韓国語で話されたため何も理解することが出来ませんでした。そこで、家に帰って母にどこか日本語か英語で話す教会はないだろうかと聞いたら、この教会を教えてくれたのです。当時この教会に来ていた同じ年頃の母の友人の息子さんと一緒に待ち合わせて礼拝に出席しました。礼拝は長く、何がなんだかわからなかったのでもう少し分かりやすいのはないか尋ねたら、ダニエル・松田兄がリードしている朝のバイブルスタディのクラスを紹介され、毎週行き始めました。そしてついに1993年の8月に救われ、クリスチャンになりました。 

 しかし、家族は僕が熱心になればなるほど、心配し、いろいろと質問してきました。例えば、「神様は本当に存在するのか」とか「イエス様がどうして実在の人物だとわかるのか」とか戦争の悲劇や、命のことや死のことなどなど、当時まだ自分には答えられない質問ばかりで、しっかり答えられない自分を、親はますます心配してきました。ついにはその程度の知識で何故洗礼を受けるのかと言われたので、それから一生懸命聖書を勉強しました。学ぶうちに神様は自分の心をどんどん変えてくださり、神様を知ったおかげでそれまでいいかげんだった生活態度も改めることができました。今では親の反対や、質問を感謝しています。

 高校卒業後、しばらくして僕は自分を神様のためにささげて働きたいと思うようになりました。 

 それは今から6年前、ライフガードになるテストを受けようと、ある朝サンタモニカへと車を走らせていた時に起こった交通事故のためでした。フリーウェイのトンネルに入り、右へカーブした瞬間、車がスリップして中央分離帯にぶつかり、車はコントロールを失ってコンクリートの壁に時速約60Mphも出しながら正面衝突してしまったのです。 

 しばらく放心していましたが、車からおりて調べたら、幸いなことに体は無傷だったのです。けれどもその時、いつもバックミラーにぶら下げていた金の十字架のネックレスが、ぶつかったショックで折れ曲がっていたのを発見しました。窓ガラスは十字架がぶつかった衝撃で割れたことが分かりました。

 体が一応なんともなかった僕は、警察官が勧めるまま、送ってもらってそのままライフガードのテストを受けました。サンタモニカの海を1キロ泳いだのです。その後、病院へいきエアー・バッグにより左手首にマイナーなひびが見つかりましたが、命に別状はありませんでした。 

 イエス様が僕の罪のために罰をうけてくださったので、自分は罰を受けずに天国へいける、永遠の命を与えらたのだということが、その事故を通して分かりました。 

 その事故で死ぬはずだったのに、十字架がぼくのかわりに窓にぶつかって、自分は奇跡的に助かったと思ったのです。そして自分はこれからイエス様のために生きたいと思うようになりました。それで、英語部のユースのため、また、今回は日語部のユースのリーダーとして自分にできることをさせていただき、とても恵まれた経験をしました。 

 ラフガードのテストは不合格で車は廃車になってしまいましたが、事故のおかげで生まれ変わることができ、2度目のチャンスが与えられたことを大変感謝しています。