VI. 救いの証 - モラレス令子 - 2004年10月号

 聖書につぎのような御言葉があります。 

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父はこれを養ってくださるのです。あなたがたは鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。今日あっても、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか」(マタイによる福音書6:26,30) 

 受験生の頃、私は幼い頃通っていた教会学校で教わった聖書やイエス様のお話をよく思い出しました。家のすぐ近くに教会があったので、中学生になるまでは、友達とよく教会へ通っていましたが、その後は部活動で忙しく教会から離れていました。高校三年生になり、これからの進路を考えていた時、先ほどの聖書のみ言葉が不思議と心に平安を与えてくれました。最終的に私の進路を決められるのは神様であって、神様は私にベストな道を与えて下さるのではないか。私は心配事を神様に委ね、安心して試験の準備が出来るようになりました。 

 志望していた大学に合格したとき、私は神様に導かれていると思い、教会に戻ってきました。そして神様の愛に気付き、大学1年の5月にイエス様を信じ受け入れました。救われた喜びで満たされ、早速聖書を勉強し、祈り、教会の奉仕をしたり周りの人に福音を伝え始めました。そして大学2年生の時に、聖書のルカ10章2節にある「実りは多いが、働き手が少ない」という聖書箇所から神様は私をフルタイムの献身者として導かれていると確信が与えられました。 

 また、大学の国際交流のクリスチャンサークルにも、熱心に参加するようになりました。大学4年生の時、隣の大学でその姉妹サークルに留学生として参加していたアーウィンと知り合いました。彼が勉強や信仰生活について親切に教えてくれたので結婚を前提に付き合うことになりました。偶然にも、彼も同じように将来はフルタイムの献身者として神様のために働くことを導かれていましたが、視野を広げるためにも社会人の経験をした方がいいと思い、二人とも卒業後は就職しました。私の家族はキリスト教の信仰を持っていなかったので、アーウィンといた方が神様によりよく仕えることが出来ると考え、卒業の2年後に結婚し、その後仕事で東京に引越し、ちょうど一年前アメリカの神学校に夫婦で入学し、神学校で学びつつ将来のミニストリーに備えています。 

 クリスチャンになってからは、大変なこともありましたが祝福の毎日です。中学生、高校生時代の私は、いつも何でも分かってくれる本当の友達がほしいと思っていましたが、今はどんなときも信頼できるイエス様が共にいてくださるので、周りの人に期待をしすぎることなく、いつも希望をもって歩んでいくことが出来ます。また、以前の私は、みんなから好かれようとして、疲れてしまうこともありましたが、今は神様から十分に愛されているので、神様以外の人に大切にされることを求めなくてもよくなりました。また、聖書の学びを通して、神様の基準、変わることのない絶対的な尺度で物事を捉えることが出来るようになり、いつも落ち着いていられます。これからも神様と共に歩む人生の平安を多くの人に伝えていきたいと願っています。