VII. 救いの証し - 尾関康仁 - 2004年11月

”何故クリスチャンになる必要があるのか理解に苦しむ〝と言って私の洗礼に反対する両親に私は何度もメールを出しました。以下は洗礼を受ける数ヶ月前のある日、私が両親に宛てたメールです。浮かんでは消える儚(はかな)い幸福を追い続け、たどり着いた先にあった空虚を体験し、自分が求めていた心の安住と精神的強さは何であったかを発見するまでの過程を両親に伝えました。文中の高ぶった自分の態度は大変聞き苦しく、神への冒涜(ぼうとく)と取られる部分もあるかと思いますが、これが神をまだ畏れていなかった過去の自分の姿でした。・・・ 

 『というのも文の中で「救われたくて今の信仰をはじめようとしている」と書いてあった。平たく言うと救われたい→受け身的→外部からの助けを待っているというように感じられます。dormitoryにいたときのやっさんは常に能動的な「自分から前に進む」「進まざるは退転」という感じを受けていました。今でもそうだよ、と言いたそうですが、ただこのメールからはそう感じられるかな???』 
 友人からもらった上記メールの指摘を受け暫(しばら)く自分で考えていました。ちょうど昔自分が「クリスチャンなんで甘っちょろい、弱い人間が逃げ込むところだ」と思っていたことを思い出します。僕はここでこの友人に言った「救われた人生」について書こうと思います。 

 昔から、自分は成功思考でした。人よりお金が欲しかったし、モテたかったし、経済的にいい生活を望みました。中学生くらいから社会のレールに乗ろうと思いました。いい大学、いい会社を目指して猛勉強しました。22歳の時に空手と師範に出会い、自分に厳しく人に優しくなるよう教わりました。「自分に厳しく」という教えは、僕は好んで受け入れました。空手を続けていくうちに自分に鞭打って弱い自分に打ち勝つ快感を覚えました。それで自分を超えることが出来ることに嬉しさを覚えました。根性モノは昔から大好きでした。勉強も仕事も出来て、空手で根性も備わった人間になる目標も出来ました。そのうち強い人間ほど人に優しいという事実を知りました。空手の師範、大学の恩師からも「人の傷みのわかる人間になれ」という教えにはうなずきました。自分に厳しく過酷な稽古に耐えた人間ほど、人の傷みの判る優しい人間であることを悟りました。 

 巷(ちまた)の口先だけの人間とは違い、自分は有言実行の人間だと自分に証明したくてたまりませんでした。資格試験、空手の黒帯の取得、4度のマラソンもそれを自分に証明するため挑戦しました。外っ面だけの人間と自分は違うことをとにかく証明したかったし誇りたいと思いました。一度始めたことは結果を出すまで途中で諦(あきら)めたことは自分の人生のなかで何一つないことを誇りました。自信もつきました。 

 高校卒業と同じに二人のもとを離れ、一人でなんでもやってきたつもりでした。いつも目標を立ててそれに向かって努力を積み重ねる生活をしてきたつもりですが、大概の目的とか困難は、猛勉強や猛特訓で、遊びを我慢して睡眠時間を削ればなんとか手に入ると思っていました。しかしいつからか目標を達成しても何故か自分の心の中には空虚を感じ始めました。自分は何を究極的に求めているのか分からなく不安になることもありました。 

 大学とか、会社とか、資格とか、美人の彼女とか、形だけ手に入れても自分の心に返ってくるものじゃないと結局駄目だと20代後半で段々わかってきました。貪欲に自分の目指すものを求めた自分の過去を否定するつもりはありません。しかし名前や形だけを追い求めていた部分は大いに虚しいものです。漠然とした不安感から逃げ出すためにした的を外した努力は沢山あります。結果的に形だけ手に入れても自分の心は満たされませんでした。この失敗から学んだことは形なんかより心で感じることだけが自分を納得させ、幸せになれるものだということでした。そのときやっと富とか名声は一番大切なものではないと思い始めました。そのころから家族と友人がいかに自分に安らぎを与えてくれるものだということを知りました。僕は心の安住を求めました。

 自分の人生を振出しに戻し、いちからやり直すために環境変化を求めてアメリカにきました。しかしいつまでたっても克服できない精神的な弱点はまだ残りました。人間関係では自分はねたみとそしりでいっぱいでした。自分の思い通りに人が動かないことに不満を感じるという悪い癖も相変わらず直っていませんでした。自分が相変わらず的を得ないまま我武者羅に努力しているかのような不安に襲われる瞬間もありました。日本での柵から抜け出し一切を捨てて心機一転して始めたつもりのアメリカでの生活でしたが、相変わらずそこには昔となんら変わらない弱い自分がいました。結局何処に行こうと自分は自分だったんです。僕は精神的な強さに憧れました。 

 いつまでたっても解決できない自分の弱点、何処に行ってもどれだけ努力しても克服出来ない自己嫌悪、永久に捜し求めて見つからないでいる自分の求めるもの、それが僕の心から安らぎを奪いました。僕も疲れていました。浮かんでは消える自分の興味、夢、異性への関心、それらを獲得するため暗中模索しては時とともにそれらへの情熱も消え去りました。それが自分の人生のなかで何度と繰り返されてきました。 

 そんなある日、友人から聖書をもらい気まぐれで教会の戸を叩きました。聖書に触れ今までの自分がいかに高慢であったか、どれだけ多くの罪を犯しているかを知らされました。また他人を愛することを教えてくれました。ひょっとするとこれで僕が過去どうやっても克服できなかった問題を解決できるかもしれないという期待も持ちました。こうしてアメリカに来てここで聖書に触れる機会を与え、僕をここに辿り着かせてくれたのも神の計画なのかもしれない、そう感じ始めた。しかしそう感じるまでに一年かかりました。 

 聖書では、人間は神に生かされていることを教えています。粋がって自分は自分の力で生きていると思っていた僕は当然反発しました。罪の代償は死。罪を犯し続けるしかない素性の人間がその代償を払うためには清き人間の身代わりが必要です。神が独り子イエスキリストを地上に送り、全人類の罪の代償として十字架上で処刑したということ。それくらい神は人間を愛したこと、それを受け入れれば人間は救われるということ。いまでもその突拍子もない教えに面食らったことを覚えています。 

 教会に行き始めて何ヶ月か経ったとき、いつの間にか聖書にも受験勉強の参考書のように沢山線を引いてしまいました。

 僕の場合はあるドラマチックな事件が起きてクリスチャンになろうとしているわけではありません。ただ日々の生活の中で、いつの間にか聖霊が自分の中に入ってきたかもしれないと感じる瞬間がありました。それは必要な場面で聖書の教えが自分の心をコントロールしてくれていると感じた時です。聖書の教えがなかったら今頃どうなっていただろうと恐ろしくなることもありました。家族親戚のことを考えると簡単にはクリスチャンにはなれません。聖書の全てを本当に信じていいのかという不安もあります。但し徐々に自分の心に聖書の助けを感じているという事実はもう無視することはできなくなりました。 

 僕は確かに神様の恵みを感じ始めているんです。これはもう僕には否定出来ません。聖書の助けとは神の御言葉であり、神とイエス・キリストの愛です。神様ならば僕がずっと克服出来なかった問題を解決し心に安住をもたらしてくれるかもしれない。そう思い始めました。事実、教会の人たちと触れているときにも自分は心の安住を感じているんです。 

 もしこれが全て神の計画ならば、信仰で神が僕の益となるように、最後はちゃんと僕の努力が報われるように出来上がっている、だからどんな困難にも大胆に向かっていけるし、安心して生活できるかもしれません。それが僕が前述の友人に言いたかった「救われた人生」です。そうした人生を既に送っている人は、人に優しく自分勝手ではなく人のことをまず第一に考え、お金とか名声とかに振り回されない確固とした価値観をもって安定した精神状態を続けています。忙しいと二の次にしがちな他人への思いやりを忘れない、自分が幸せになるために必要なことを知り既に持っている。それが僕には精神的強さに感じます。僕がずっと追い求めた心の安住と精神的な「強さ」は実はこのことだったんだと気づいたんです。今やっと僕はそれを見つけました。やすひと』 

 神様と両親の二つの愛に挟まれ悩み続けました。最後にとった私の行動は両親に私の気持を分かってもらえるよう神様に祈ることでした。長い平行線の状態が続きました。そして神様と両親の暖かい愛により私は洗礼にたどり着きました。「誰も私の父の御手から彼らを奪いさることは出来ません。」(ヨハネ10.29)「彼に信頼する者は失望させられることがない。」(ローマ10.11) 

 私をガッチリ掴んで放さない神様に絶対的な信頼を置き、私は神様に自分の人生を委ね、これからの人生に臨みます。