VII. どんなきっかけで神様を信じるようになったの - インタービュー - 2005年12月

2005年12月18日の礼拝後のクリスマス愛餐会で、阿部麗姉が4人の方々(岡田兄姉、尾関兄、谷崎姉)に「どうして、どんなきっかけで神様を信じるようになったの?」とインタビューしてくださいました。インタビューのポイントを下記にまとめました。

(阿部姉):キリスト教についてどんな印象をもっていましたか? 
岡田姉:教会付属の幼稚園に通ったため、良い印象を持っていました。

(阿部姉):初めて聖書を読んだ時の印象はどんなでしたか? 
岡田姉:日本語の活字に飢えていたこともあり、小説を読む感覚で読み始めました。                 

(阿部姉):聖書を読んでどんな変化がありましたか? 
岡田姉:大きな変化があり、私のことを全部知って下さっている神様の存在がはっきりとわかりました。

(阿部姉):それまでの自分と聖書を読んでからどう変わりましたか? 
岡田姉:以前は神様に愛されていることがわからなかったのですが、自分中心に物事を考えていた事がなくなりました。

(阿部姉):ご主人に聖書を贈って一緒に読みましょうと言われたのはなぜでしょう? 
岡田姉:自分の事を全部、環境や起こったこと、心の中までご存知の神様が本当にいらっしゃるという事を伝えたかったからです。

(阿部姉):自分だけに留めず、伴侶にもということですね。ありがとうございました。


(阿部姉):次に聖書をもらった岡田兄へお伺いします。初めて聖書を手にされたんですよね。 
岡田兄:いいえ。中学、高校の時にカトリックの学校に通っていた時にもらってたことがありますが、しっかり読んだことはありませんでした。

(阿部姉):その頃はキリスト教についてどんなイメージを持っていましたか。 
岡田兄:学校の神父さんたちの清い働き、自分の全人生を捧げている姿を見て、自分とはかけはなれた遠すぎる世界だと思っていました。

(阿部姉):独身時代の人生についての考えはどんなでしたか? 
岡田兄:仕事に励みいい地位について適当にお金を貯め、遊ぶ時には思いきっり遊んで楽しい人生を送ろうと思っていました。

(阿部姉):聖書を読んで何が心に響いたのでしょう? 
岡田兄:一生懸命働いても年を取って定年を迎えてそれまでの努力や積み重ねたものが無くなり、死ねば一体何が残るのだろうか、自分は何のために今生きているのだろうかという疑問が時々起きて悩むこともありました。新たに聖書をもらって読み始めてみると、今まで聞いてきた正しいことの人間として一番大切なもの がこの中にあることがわかりました。

(阿部姉):今まで自分が思っていたことと全く違う、ただ面白おかしく暮らして死んで全てが終わりではないと思われたんですね? 
岡田兄:ある時、自分が努力して何かを得て楽しく生きようとしていたことは間違いだったと気づかされました。それまで追い求めていたものは生きるための手段にすぎず、本当の目的は聖書に書かれている神様と共に生きる事、死んだらそれで終わりではなく、永遠の命に生きると聖書にはっきり書かれてあったので、心が平安になりました。

(阿部姉):一般的に宗教は弱い者がすがるものだという意見がありますが、男性の意見としてどう思われますか? 
岡田兄:確かに神様を知らない時は自分の人生は自分で切り開いて、努力してできるだけいいものを自分でとって行こうという風に思っていました。宗教に頼るのは一種の逃避であると思っており、心を自己満足させるために逃避している弱い生き方で嫌だと考えていました。

(阿部姉):そういう感じはしていたけれど、そうではないと? 
岡田兄:まったく逆でした。聖書を読んでみて初めてわかりました。読まないと分からないし、教会に行かないと分からないということがたくさんあって180度考えが変わり、神様を信じている者は弱いどころか強くなれるんだということを、教会に行って教会の先輩の方々の暮らしぶりや証しを通して思うようになりました。信じないで今まで強がっていた自分は張子のように中身がからっぽだったということがわかりました。

(阿部姉):貴重な体験談をどうもありがとうございました。


(阿部姉):次にお迎えするのは若き精鋭、尾関さんです。成功志向で努力家の尾関兄ですが、色々なことに成功してきて大満足であったであろう尾関さんがどんな理由から教会を探されたのでしょう? 
尾関兄:チャーミングな女性から聖書を贈られ、当惑しながらも勉強しておどかしてやろうと思ったのです。クリスチャンの友達もおらず、教会があることも知らなかったので、日本語で聖書の勉強ができればいいかなと思い、インターネットで日本語>ガーデナ>トーランス>教会と検索したら、この教会が出てきたんです。

(阿部姉):それまで宗教に対する考えはどういうお考えでしたか? 
尾関兄:宗教は自分には関係ないと思っていました。さきほど岡田さんもおっしゃったように、現実から逃げるという感じがあり、つらくて宗教に助けを求めている弱い人間のイメージがあって嫌でした。そうじゃなくて、自分で努力して自分で切り開いて、自分が頼りなるような生き方を目指していたので宗教は必要ないと思っていました。それに祈りについても非生産的なことと思いました。祈って望みがかなうという話もそんなばからしい話はないと思っていました。

(阿部姉):全く自分には関係ないというところからどうして休まず教会に行くようになったんでしょう? 
尾関兄:最初に教会に行って受けた印象が「いったいこの人たちは何をやっているのだろう」という感じで、学ぶことも感動も全く無く、日常生活で使わない自分が理解できなかったということだけ覚えています。

(阿部姉):自分のためになるものは何も無い、キリスト教は変だなぁと? 
尾関兄:けれども自分には関係ないからこれが最後とは思わず、二回目も行こうという気になったんです。後から考えてみると何か心に渇きや何か求めていた所があって、再び教会に行くという力が出たと思います。

(阿部姉):今振り返ってみて客観的にその渇いていたものは何でしょう? 
尾関兄:大学を出て社会人を6年半やっていて、すべてが順調で自分が築き上げた生活に誇りを持っていたんですが、終わりのない努力に心に漠然とした不安を覚えそれまでの自分の価値観が何の役にも立たない事に気づいたんです。

(阿部姉):自分の中で価値観が変わってきたんでしょうか?成功していくこと、頑張ることが人生の目的ではないと 思い始めたんですね。では神様は真実だと確信した理由は? 
尾関兄:それはずっと後になってのことですが、教会の人たちの中に心の強さを感じて教会に魅かれました。

(阿部姉):尾関さんは科学的に神は証明できると思いますか? 
尾関兄:できます。宇宙が存在するための条件が考えられないような数値で表すことができるんです。疑問がある方は教会へどうぞ!(笑)

(阿部姉):それらの精密な自然の動き、創られたものを見て証明できるということですね。


(阿部姉):仏教に信仰の篤い家に嫁がれ、お姑さんと仏壇のある生活の中から、教会に足を運ぶようになったきっかけを教えてください。 
谷崎姉:次男がジュニア・ハイの頃の友人達が皆この教会のクリスチャンだたことから、次男が救われて家族のために祈り始めたんです。まず長男が救われ、私もその友人達や息子の姿を通して教会に行き始めました。

(阿部姉):息子さんの熱心さをご覧になって教会に行ってみようと思われたのですか? 
谷崎姉:お友達が皆素晴らしかったんです。そのお友達の中で子供が育っていくのは母親として全然不安が無かったし、そういう子供達を見て教会に魅力を感じました。

(阿部姉):お姑さんもいらっしゃるところから、どのようにしてクリスチャンになることができたのですか? 
谷崎姉:二人の息子達の生活ぶりを見ていたお姑さんが私が教会に行く事を許してくれ、そればかりかお姑さんも一緒に教会に行くようになり10年後に救われました。

(阿部姉):仏壇は? 
谷崎姉:神様に不可能はないといいますが、お坊さんに相談したところ、「キリスト教は立派な宗教ですから、あなたがなるんだったら、立派なクリスチャンになりなさい」と言ってくださり、仏壇や位牌もお寺で引き受けてくださったんです。その1年後に主人もクリスチャンになりました。

(阿部姉):救われた後、以前と比べてどのように変わったと感じておられますか。 
谷崎姉:3人の方がおっしゃったように、価値観が違うとか色々ありますが、恵みはたくさんあります。その中で一つだけシェアーしたいことは、4月に主人を亡くしまして、救われていても悲しい時もあり、落ち込むこともあります。でも私は今主人が神様のみ国の平安の中にいるという確信を持っています。そして私も必ずそこへ行けるいう確信があり、悲しみの中にも平安があります。そのことは、クリスチャンになって本当によかったと思います。

(阿部姉):これは最初に由美子さんがおっしゃった、絶対に信じられる神様への信仰。これは伴侶にも分かち合おう、一緒に救われようというその気持ちですね。今日はほんとに皆さんいいお証しを聞かせていただきました。ありがとうございました。