去る5月20日(土)、聖歌隊はLAホーリネス教会会員の古川千鶴子姉をお招きして、第二回「発声の講習会」を開きました。古川姉は当地でも「森の会」というコーラス・グループの指導者としてご活躍中であるとともに、クリスチャンとして教会やコミュニティー施設で賛美のご奉仕を続けておられます。 音楽家としての専門的な知識、技術の指導に先立ち、クリスチャンとしての立場から「聖歌隊」の始まりや役割について教えていただきました。また、礼拝で賛美するときは礼拝に来るまで抱えていたいろいろな問題も神様に預けて喜びを持って歌うよう、また、礼拝に集う会衆の心が神に向かって開かれるように歌うようになど、聖歌隊の一員として心掛けなければならないことなども指摘してくださいました。古川姉が聖歌隊の始まりは聖書の第二歴代誌にあることを教えてくださったので、さっそく家に帰ってから読んでみました。 そもそも「聖歌隊」は「歌うたい」として主の神殿で儀式を行う際の神への献げものとして賛美したようです。ネヘミヤ記12章31節にはネヘミヤがエルサレムの城壁を再建したとき、その奉献式に「聖歌隊」を編成し喜びの歌を歌わせたことが記されています。45節、46節を読むとダビデとソロモンの頃から「歌うたい」の任務は神に賛美と感謝をささげることだったことがわかりました。 また、第二歴代誌20章20~21節にはユダのヨシャパテ王が大勢の敵におそれおののくイスラエル人兵士を鼓舞するため、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物をつけて賛美する者たちを任命し、彼らを武装した者の前に出て行かせ、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と歌わせたことが記されています。「がんばれ!」「それゆけ!」「しっかり戦え!」という大合唱ではなく、主をほめたたえる賛美であったことは大変興味深いと思いました。22節には「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダにせめて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた」とありました。 こうしてあらためて聖書を読んでみた時、兵士たちが賛美を通して新たな力と喜びをいただき、また戦いの場に戻っていく事ができたように、神様は私にもまったく同じ体験をさせてくださったということにはたと気づきました。 「敵の前におそれおののく兵士」の姿はふりかかってくる問題の前であえいでいた私そのものでした。日曜日の朝、まだ小さかった子供達を急かせてカリカリしながら教会に出てきた時でも、また主人と意見が合わずしょんぼりしていた時も、親しい友が去って行った時も、そしてまた大きくなった子供達の問題に悩んでつらかった時も、なぜか聖歌隊で賛美すると元気が出てきました。不思議に力が湧いてきたことが何度もありました。賛美を通して力や励まし、平安や慰めをいただいて家路につくことができました。きっとそれは、神様を賛美したため、喜んで聴いてくださった神様がごほうびとしてくださったものではなかったかと思うのです。 古川姉が指摘して下さったように、聖歌隊の賛美を聴いた方々が同じように、主に心を向け喜びに溢れて礼拝を行うことができるよう、今回の講習会をまた新たな一歩として成長していきたいと願っております。 |