IV. 備えられた脱出の道 - チャンドラー満智子 - 2006年7月

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません、もしろ、絶えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13) 


 文章を書くことは不得手な私ですが、私の歩んで来た人生の中で最も大切な教訓を受け、又私の信仰を試された、考えられないような体験をお証しさせて頂きます。 


 去る4月12日の朝、2年ぶりの高校時代のクラス会出席の為、心を弾ませながら飛行機の時間待ちをしている時、思いもかけず15年前に職場を共にした事のある女性と同乗になり、再会を喜び合いました。昔話に花を咲かせながらの楽しい恵まれた旅が始り、その幸いを神様に心より感謝いたしました。 

 最終目的地は熊本県八代市です。成田空港から福岡へ、乗り換え時間待つ事3時間。福岡空港到着は夜9時30分。空港から博多駅には地下鉄で、博多駅で特急八代行きの電車で約1時間30分かかります。八代着が真夜中になるために友人に博多で一泊して翌日の朝八代に向かう事を告げ、一刻も早くこのくたくたに疲れた体を横たえたい、また、空腹を満たしたいと降り立った博多駅近くで歩いてホテルを探し始めました。 

 ところが駅前に並ぶ大小のホテル、旅館は何処も空室なしと断られ、タクシーの運転手も目的地が分からない故に乗せてくれず、この大きな博多の町のみならず、近辺の町の宿泊するところは全て満杯ですとの冷たい返事。一体何が起こったのか町中のホテルが一杯とは?訳もわからず途方にくれて駅に戻るとホームレスが寝場所を作っていて夜を過ごすには危険を感じ、またあてもなく歩きながら一生懸命に祈り始めました。 

 「天の愛する父なる神様、私が今どのような目に会っているかをご存知ないのですか?何処におられるのですか。旅の始まりはあんなに祝福してくださり、楽しい時を与えてくださったのに、今信じられない、予想もしなかった事が私の上にふりかかっています。年老いたこの私には重過ぎる試練です。どうか一刻も早く私を助けて下さい。私を守ってください。恐ろしい目に遭わせないでください。この真っ暗な道を何処に行ったらいいのですか。人目に晒されないところなら馬小屋でもいい、この疲れきった体を休めたいのです。 

 神様、よく分かりました。あなたのみこころを・・・・私は軽率で、物事を安易に考えすぎる、あまり用心する事をしない、全て成るようになると昔の悪い習慣が抜けきれてない愚か者でした。今夜のこの試練を通して自分の愚かさを変える努力をしますから、どうか助けてください。頭の中が空になって考える力もなく、どうしたらいいのでしょうか。主よ、どうか私を支えて支えてください。倒れそうです・・・・」時計の針は2時を過ぎていました。

 どの位歩いたでしょうか。ゴロゴロと引っ張る荷物も投げ捨てたいような気持ちでした。ふと見ると一台の個人タクシーが小さなビジネスホテルの前にドアを開けて停まっていました。だれかを待っているようでしたが、近づいて恐る恐る、今私が窮地に立たされている事情を話すと、彼は優しく労わりの眼差しで「お乗りなさい。探しましょう。この三日間は全国医師会があり、町中の宿泊する場所は一杯ですから」と説明して下さり、灯りがついているホテルの一軒一軒を尋ねて下さったのです。因みにこの医師会全国集会は数年に一度催され、海外からも多く出席されるそうで、昔このような事が一度あったとか。 

 もう午前3時も過ぎていました。「残すところはヘルスクラブしか無いようですね。あそこなら仮眠もできますから」とおしゃって連れて行ってくださった施設はなんと福岡空港の近くにありました。そこにたどりついた時の安心感は文字では表現できません。その施設の大部屋で、疲れた体を横たえながら一晩中神様のなさったみ業とその深い愛を感謝しました。 

 主は私と共に暗い月の無い道を何時間も歩いて下さったのです。そして個人タクシーの田口さんを私のために備えてくださり、ドアを開けて待っていてくださった。きっと彼は主が送ってくださった地上で働く天使だったと思います。親切な優しい田口さんの上に神の豊かな祝福が注がれますよう祈りました。 

 神様のみ言葉は誠に真実であり、心より願い求めるならば必ず時にかなって聞いてくださることを身を持って体験し、確信することが出来ました。そして自分を見直すチャンスが与えられ、軽率で高慢な私を戒められました。この夜の出来事は私の生涯の中で最高の思い出となり喜んでいます。 

 また帰国中に二人の友人がそれぞれに母親と義母を亡くされ、その葬儀に参列しましたが、私のクリスチャンとしての立場を理解していただき、お焼香を遠慮できました。またこの時も神様が私の信仰を試されたのです。小刻みですが、一歩前進するチャンスを与えられ、このことも皆様にお証しできる幸いを感謝いたします。 

 日本中どこに行ってもお寺と神社は必ずありますが、日本文化の真髄であるこの二つの宗教の中で日々の生活を営んでいる人たち、親愛なる学友達と私の価値観があまりにも異なるので帰国の度に寂しく思います。神様のみことばを伝える隙間もない事を痛切に感じ自分の力の弱さを情けなく思っているだけに、日本での福音伝道はいかに難しい事かが察せられます。伝道に携わっておられる方々に神様からの大いなる力と勇気が与えられますよう、また海外宣教に携わっておられるお一人お一人のために祈らせていただきます。そして私たちの日語部が愛と祈りの教会として神様に喜ばれますようお祈り申し上げます。 

 「いろいろな試練に出会うときは、この上もない喜びと思いなさい。信仰が試される事で忍耐が生じると、あなたは知っています。」(ヤコブ1:2.3)