今年でマウント・ハーモン修養会に参加して3回目となりますが、毎年主からの異なった恵みを頂いて、マウント・ハーモンの山を降りてきます。この恵みは日常の信仰生活で受けている恵みとは、少し質が違うものと感じていました。何がどのように違うのか、主がどのような恵みを与えて下さったのか、自分の中ではっきりとせず、漠然としていました。しかし、「百万人の福音 2006年3月号」で「どうしてこうなる私の生活」というゴードン・マクドナルド師が書いた4ページほどの執筆を読んで、彼がいう「霊的ガーデニング」の恵みを頂いたんだと気がつかされました。 ゴードン師は、「私にとって、霊的な世界のイメージは、平安と静けさに満ちた園であり、そこは神の霊がご自身を現され、時にかなった知恵や励まし、叱責、導きなどを私に与えてくださる場所だ。この内なる園はとてもデリケートな場所で、心をこめて世話をしないと、あっという間に藪で覆われてしまう。そうならないように大切に手入れする行為が、『霊的なガーデニング』である。キリスト教神秘主義者たちは、この内なるガーデンで神と親しく交わるために、定期的に日常生活や人間関係から身を引くことの必要性を知っていた。」と著しています。 私はマウント・ハーモンで、ゴードン師が言っている「霊的なガーデニング」をする機会が与えられ、多くのメッセージを通して、主が内なる園を耕して下さったと気付きました。主が、日常生活や人間関係から一時的に身を引く環境を用意して下さったのです。この気付きから、マルコ4章のからし種のたとえ話を思い出しました。この中でいばらの中に落ちた種はいばらに阻まれ成長することができず、実を結ぶことはないとイエスさまははっきりと語っておられます。いばらが伸びている内なる園では信仰が成長できないのです。主は私の内なる園の状態を知っておられ、そこに私が成長させてしまったいばら・・・不信仰、不従順、不敬虔、高慢など・・・を一本、一本丁寧に抜いてくださり、主が植えて下さった信仰の種が成長できるようにと深い憐れみと大きな恵みを与えて下さいました。 内なる園に生えているいばらの種類、量、高さによって剪定の仕方も違ってくるはずです。主はすべてをご存知で、毎年、適切な方法で私の内なる園を耕して下さるので、毎年、マウント・ハーモンで受ける主の恵みが異なったものと感じていたのでしょう。主の恵みが異なっていたのではなく、私の内なる園の状態が異なっていた為でした。 このように、主からの恵みを理解できたことで、マウント・ハーモンでの主からの語りかけが鮮明であった理由もわかりました。マウント・ハーモン修養会にいたからではなく、日常生活でも主が常に語りかけて下さっているにもかかわらず、私の内なる園が整えられていなかったために、その御声を聞くことができなかっただけでした。 マウント・ハーモンできれいに手入れされた内なる園にも、早、いばらが芽を出し成長を始めています。日々の信仰生活で刈り取っていく必要がありますが、来夏には再び、マウント・ハーモンに主が送って下さり、整えてくださると期待し、祈っています。 どんな素晴らしい主を見せて下さるか、今から楽しみにしています。最後になりましたが、このように証する機会が与えられ、主の恵みを更に深く受けることができましたことを心より主に感謝致します。 |