VI. 証し 私の幼少時代 - 西本モーリー - 2006年10月

故西本晴海牧師のご夫人として、日語部の皆さんにも大変親しまれているモーリー姉のシェアリングです。(翻訳:大谷至美元牧師夫人)


 日本からカナダへ移住した一世の移民、平山キハチとソデの五人姉妹の四女として生まれた私は日本の事はほとんど知らないまま、そしてどうにかして自分もカナダ人のようになりたいと願いながら二世としてカナダのバンクーバーで育ちました。1920年代に育った私は姉達に連れられて4歳のときから白人が集っていたバプテスト教会の日曜学校に出席し始めました。 仏教にはほとんど関わりなくクリスチャンの背景の中で育っていきました。 そのことを父は特別に嫌うこともなくかえって新しい国、新しい土地に来たのだからと、新しいものに触れるということを受け入れた人でした。そもそも父と母はヴィクトリア・バンクーバーで1910年にキリスト教の結婚式を挙げてもいます。司式をして下さった牧師先生は両親に結婚のお祝いとして日本語の聖書を下さっておりました。このような私の背景を見ると神様は私共の家族に御手を置かれたことを知ります。 

 幼い時から日曜学校でイエス様の話を聞いていた私は10歳の時に聞いた福音メッセージを通してイエス・キリストを信じました。 しかし15歳になって洗礼を受けるときまで、あまり真剣に信仰のことを考えたりしませんでした。礼拝に出席し、聖書クラスや祈り会に参加し、日曜学校の教師としてのレッスンの準備をしたり、また日々のデボーションや聖書全体の書を読み通すうちに私は少しずつ成長してきたように思います。 

 フランクリンストリート・ミッシヨン日曜学校(私が出席していた教会の伝道の一環として行われていた日曜学校分校)で教師をしたり、バンクーバー聖書学校の夜間クラスを三学期程取ったりした結果、私の信仰の基礎が固められて来たように思います。 私はバンクーバーで受けた全ての生活や導きを神にどんなに感謝していることでしょう。1942年に入ると日系人の強制収容が始まったため、私のバンクーバーでの生活は終わりになるからです。 

 4歳で始まった私の信仰の歩みと共に音楽家としての歩みも4歳から始まりました。4歳のときに姉が弾いていた旋律を私が弾くのを聞いた父は私にもピアノを習わせてくれました。5歳の時に先生が引っ越しをされたために少し中断しましたが7歳のときに又スタートして12歳まで続けました。このころ父は私のためにピアノを購入してくれました。 

 今思うとこの様に私にピアノのレッスンを受けさせてくれたことや、理論コースのための支払いや、トロント外に居住する生徒のために行われたトロント音楽大学での年二回のテスト料金の支払い等をよくも喜んでしてくれたと驚きを覚えるのです。私のハイスクール時代は親にとってとても難しい時期でもありました。ピアノのレッスンを受けることができない時期でもありました。その代わりに私は一生懸命勉強に励み、1937年の6月にハイスクールを卒業しました。音楽大学の学位をとり卒業することを切望した私は日本人クリスチャンのピアノの先生につくことができ、理論テストのためにも他の先生が与えられました。とても厳しい訓練の時でした。特に最後の6ヶ月間は毎日6-8時間のピアノの練習、ハーモニーや対位旋律、音楽形体や音楽の歴史などを学ぶ時でした。  

 思い出しますと私の家族の面倒を見ていた時期にピアノに触れなかった時もありますが、与えられた訓練を私はどんなに感謝しているかわかりません。

 カナダに住んでいた私は自分が結婚できるとは思っていませんでした。なぜなら自分の結婚すべき相手はまずクリスチャンであり、そして日本人であり、その上クリスチャン男性として成長された尊敬すべき人でなければ結婚しないと決めていたからです。そのような男性は私の周りに誰一人としていませんでした。 が、神のなさった驚くべき事が私の身におきたのです。 

 多くの日系人にとっては耐えられないような喪失の時であった収容所での経験が私にとっては隠された神の祝福の手がさしのばされた時でした。神は私にある計画をお持ちでした。この収容所の経験を通して神は私を西本春海と出会わせてくださったのです。収容所の経験が無かったら私は西本と出会うことも無かったことでしょう。この時西本は日本にある長老教会で既に副牧師をしておりました。そしてこの頃フィラデルフィアにあるウエストミンスター神学校に入学するつもりで日本からカナダに帰国をしていました。しかし日本で結核を患ったためにバンクーバーで入院を余儀なくされました。彼はニューデンバーにある新しく建てられた結核療養所に収容されました。その厳しい冬の次の年に私の姉は肋膜炎を患い西本と同じ療養所に収容されたのでした。姉を訪問するとき、殆ど面識のない西本も訪問するように依頼されたその事がきっかけで彼と文通が始まりました。 

 やがて何度も大変な引越しをする中で父の健康が思わしくなくなりました。日本語を正式に教わらなかった私は日本語で自分の心の中におきた救いのことや自分の心の中でおきていることを父に証しすることが出来ないでいました。そこでバイリンガルであり英語と日本語を自由に操る西本に日本語で父にキリスト教についてそして魂の救いなどについて手紙を書いてくれるようにと依頼したのです。 

 この頃(1945年) 彼は療養所を出て両親の住むベイファームに住んでおりました。彼は父に6通の手紙を書いてくれました。そのことによって父は生まれて初めて日本語でイエス・キリストに在る救いを理解することが出来たのです。その父がイエス様をはっきり信じました。父の枕元でわたしはOnly Trust Him を日本語で賛美しました。主が今あなたを救われます・・・・主にたよれ・・・と。父はそのとき既に話すことは出来ませんでしたが答えるかのように頭をふりながら低い声でウーウーと言いながら無意識状態になり、その一時間後に召されていきました。隣の部屋で休んでいた母が父の病室でおきた事を私から聞き、「じゃ私もクリスチャンになれるのね。私も同じ決心をしていいのね。」と大声で喜びの声をあげたのです。父に遠慮をしていた母はそれまで自分がどんなにクリスチャンになりたかったかを言わずにいたのでした。 

 神は病をお用いになりました。西本の病気、姉の病、父の病を通して私の伴侶となる人が与えられました。そして西本を通して父と母にイエス・キリストにある救いがもたらされました。 私共は1947年にモントリオールで結婚しました。日系人収容という辛い経験のなかから私の家族には永遠の命が与えられました。  

 "主よ。あなたの御名を心からほめ称えます。"  

 ケベック州のモントリオールで1947年から1949年まで過ごしたあと、私達はオンタリオ州のトロントにやって来ました。主人がその地の聖公会の日本語部牧師として労した為です。その教会で私はボランテアのオルガニストとしてご奉仕をさせていただきました。当時カナダに住まう日本人を対象に伝道していたのは合同教会と聖公会の教団でありました。 バプテストとして育った私達ではありましたが基本的な教義の故に聖公会でご奉仕をすることにきめました。 

 私にとってトロントでの生活は更なる音楽の訓練の時でもありました。トロントの音楽大学で学びを受けることができ、ピアノ科の先生より人を教えるため(先生として)の訓練を受ける時でもありました。更にその大きな町の中央でクリスマス、イースター、感謝祭等の時に催される数々の素晴らしいオルガニストの演奏を目の前で聞くことができました。 

 長女が1949年にトロントで生まれ、次の年1950年の7月にはロスアンゼルス・バプテストシテイー宣教団体の長であられたラルフ・メイベリー博士の招聘を受け、私共家族三人はトロントを後にして南カリファルニアに向かう汽車の旅をした記念すべき年でもありました。 

 戦前の日本人に対する強制立ち退き後のガーデナ平原バプテスト教会の成長ぶりは皆さんも御承知です。2006年現在に至るまでの教会の成長はただ神を崇めるのみです。 

 1954年からピアノを教えるように導かれたそのことは私にとって心からの喜びでした。トーレンスにあるエルカミノカレッジにおいて1958年にオルガン科が設立され(現在はやっていない)当時英語部牧師の奥様であられた広瀬でんこ夫人とともにそのクラスに出席できたことは喜びでした。その後このエルカミノカレッジで他のクラスも(声楽、イタリア語、日本語、ピアノコース)と勉強できたことは私の音楽家としての人生が思いもよらない期待と喜びに溢れ広がるものとなっていくものでした。私にこのような機会が与えられたのは私の伴侶の励ましとサポートなくして与えられるものではありませんでした。 

 このピアノ教授から捻出された収入は貧しい牧師のサラリーを助け、後に4人の子供達の教育費にあてられたのでした。子供たちは四つの分野で勉学に励み、その大学や大学院の費用として奨学金をいただいたり、また自分たちで働いて学費を稼いだりした分も合わせて神は忠実に必要をお満たしになりました。(ピリピ4の19)神に栄光がありますように! 

 1994年に夫が召された後、私は43年間続けたピアノ教師を1997年に辞めました。私にとってそれからの時は音楽奉仕者として新しい働きに入る時期となります。 英語部・日本語部両語部の奏楽のご奉仕、お葬式や結婚式、時折入るプロの方々の奏楽者としての働きも含めてオルガンやピアノを弾くことになります。 

 不思議なことの一つは1993年に右手の手首の骨折をしたため手の巾がせまくなったにもかかわらずこれらのご奉仕をしているということです。その骨折のために治療はしたのですがそれがきっかけで私の体の中に関節炎がおきました。痛みがあるのですが、私の指だけには一切痛みがないのです。関節炎の痛みの中にあっても主は私にピアノを弾けるという能力を残しておられるのです。 私はほんとうに主の祝福の中にある者です。 イエス・キリストにある神とのすばらしい関係を保ちつつ大いなる楽しみや喜び、神をほめたたえる音楽の調べを奏でることが出来るのは何という大いなる祝福でしょう! 神よ、私は心からあなたに感謝します!