2006年12月17日に「聖書のメッセージとピアノの集い」というクリスマス祝会でゲストスピーカーとして招いたピアニストの水野広子姉のシェアリングです。
コンサートの映像:
私がピアノを始めたのは、4歳になる頃でした。絶対音感を身につけるための音感教育は、それ以前2歳頃から、母により始められていました。中学生になったときに、高校からの音楽学校進学の意志があるかどうかをピアノの先生にたずねられました。すでに生活の殆どをしめていたピアノをやめることは考えられず、当然のように"はい"と答えてからは、音楽学校受験生としてさらに厳しいレッスンを受けていました。そんな最中、私は"指の体操"の先生のレッスンを受ける機会に恵まれました。その先生は、解剖学的にピアニストの指や手の機能を分析研究している方で、レッスンでは各生徒の手の弱いところを強化するためのいろんな体操を教えてくださいました。その先生は、初めてのレッスンのとき、私の手を取り一目見るなり"ピアノ以外に好きなことがあるのなら、そちらに進みなさい。あなたのような手はね、普通の人の5倍は努力が必要な天然記念物の手なのよ。"これは、私の手はピアノを弾いていく上でハンディキャップがあるのだと、宣告されたということでした。ピアノという楽器を巧みに弾きこなすには、指の一本一本が独立(指と指の間の腱が強く引っ張り合っていないこと)していなければなりません。 私の指はその引っ張り合う力が強く、自分の思うように指が動かないのです。その指の先生の言葉に母は相当ショックを受けたようでした。 それでも、私は私の指の問題に共に取り組んでくれる理解者を得、さらに訓練を積み重ね、何とか音楽高校、音楽大学と進み、自分にしかわからないハンディを持ちながらも充実した学生生活を送りました。在学中からいろいろな人との出会いに恵まれ、その頃からずっと私はアンサンブルピアニスト、伴奏者として、演奏の場を途切れることなく与えられました。しかし、失敗したり思うように弾けないことがあるたびに、その指の先生の言葉がよみがえり、「どうして、私のような指でピアノ弾いているんだろう。私より弾ける人は、世の中に五万といるのに」と自問自答しました。でもその答えはいつも、"辞める勇気がない。続けるしかないな、、、。"という消極的なものでした。 私と神様の出会いは、絶妙な神様のご計画によるものでした。この世で絶対変わることなく信じられるものを見出すことが出来なくなっていたとき、娘の幼稚園の教会に導かれました。そのとき私は、主人の転勤によって失われてしまう職場すなわち肩書きに執着する思いに、苦しんでいました。その教会では幼稚園のお母さん方対象の礼拝が毎週金曜日にもたれていましたが、ある日の牧師先生のメッセージが、私を力強く励ましてくれました。それは、家庭の主婦、お母さんは、イエス様と同じように十字架を背負っているのです、という内容でした。家族の全員が自己実現に走ると、家庭は崩壊してしまう。家族の犠牲になって損しているように思っているかもしれないが、イエス様が私たちのために十字架を背負われたように家庭の中で誰かが十字架を背負わなくてはならない。そのように尊いことなのです。とのメッセージを聞き、肩の力がフッと抜けて、喜びに溢れる思いに包まれました。そうして、喜んで主人と子供たちのために、すべてを手放そうと思うことができたのでした。 私がピアノを始めたのは、4歳になる頃でした。絶対音感を身につけるための音感教育は、それ以前2歳頃から、母により始められていました。中学生になったときに、高校からの音楽学校進学の意志があるかどうかをピアノの先生にたずねられました。すでに生活の殆どをしめていたピアノをやめることは考えられず、当然のように"はい"と答えてからは、音楽学校受験生としてさらに厳しいレッスンを受けていました。そんな最中、私は"指の体操"の先生のレッスンを受ける機会に恵まれました。その先生は、解剖学的にピアニストの指や手の機能を分析研究している方で、レッスンでは各生徒の手の弱いところを強化するためのいろんな体操を教えてくださいました。その先生は、初めてのレッスンのとき、私の手を取り一目見るなり"ピアノ以外に好きなことがあるのなら、そちらに進みなさい。あなたのような手はね、普通の人の5倍は努力が必要な天然記念物の手なのよ。"これは、私の手はピアノを弾いていく上でハンディキャップがあるのだと、宣告されたということでした。ピアノという楽器を巧みに弾きこなすには、指の一本一本が独立(指と指の間の腱が強く引っ張り合っていないこと)していなければなりません。
私の指はその引っ張り合う力が強く、自分の思うように指が動かないのです。その指の先生の言葉に母は相当ショックを受けたようでした。 それでも、私は私の指の問題に共に取り組んでくれる理解者を得、さらに訓練を積み重ね、何とか音楽高校、音楽大学と進み、自分にしかわからないハンディを持ちながらも充実した学生生活を送りました。在学中からいろいろな人との出会いに恵まれ、その頃からずっと私はアンサンブルピアニスト、伴奏者として、演奏の場を途切れることなく与えられました。しかし、失敗したり思うように弾けないことがあるたびに、その指の先生の言葉がよみがえり、「どうして、私のような指でピアノ弾いているんだろう。私より弾ける人は、世の中に五万といるのに」と自問自答しました。でもその答えはいつも、"辞める勇気がない。続けるしかないな、、、。"という消極的なものでした。 私と神様の出会いは、絶妙な神様のご計画によるものでした。この世で絶対変わることなく信じられるものを見出すことが出来なくなっていたとき、娘の幼稚園の教会に導かれました。そのとき私は、主人の転勤によって失われてしまう職場すなわち肩書きに執着する思いに、苦しんでいました。その教会では幼稚園のお母さん方対象の礼拝が毎週金曜日にもたれていましたが、ある日の牧師先生のメッセージが、私を力強く励ましてくれました。それは、家庭の主婦、お母さんは、イエス様と同じように十字架を背負っているのです、という内容でした。家族の全員が自己実現に走ると、家庭は崩壊してしまう。家族の犠牲になって損しているように思っているかもしれないが、イエス様が私たちのために十字架を背負われたように家庭の中で誰かが十字架を背負わなくてはならない。そのように尊いことなのです。とのメッセージを聞き、肩の力がフッと抜けて、喜びに溢れる思いに包まれました。そうして、喜んで主人と子供たちのために、すべてを手放そうと思うことができたのでした。 渡航のための引越しが1ヶ月半先に迫って、1歳と4才の子供を抱えながら、主人はすでにサンノゼに赴任していたので、私一人で引越しの準備に走り回っていました。そんな中で、娘の幼稚園のクラスで、お別れ会をしてくれることになりました。ところが何とそこで、私に何かピアノを弾いてください、というリクエストがあったのです。私は内心腹を立てました。こんな忙しい日々の中で、いつピアノを弾く時間があるというのでしょうか。弾くからにはちゃんと弾きたいというプライドもありました。それで私は、初めて自分のピアノのことで神様に祈りました。祈るということを知り始めた頃でしたが、すべての思いを神様に打ち明け、どうしたらいいか、ピアノの前で神様に相談しました。しばらくこうべを垂れて祈っていると、神様は私の心に答えを下さいました。それは、今まで経験したことのない不思議な感覚でした。神様からのメッセージは、真っ暗な私の心の中に射してきた一筋の細い光のようでした。そして、次第にその光が心一杯に広がり、光で心が満たされ溢れてきました。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章4節)神様は、この私の指で弾くことを喜ばれていらっしゃるのだと思うと荷がすっと降り、平安に満たされてきました。 そんな気持ちに溢れ、送別会でピアノを弾くことを承諾しました。 それから、私はそのための練習に取り掛かりました不思議なことに、練習の前に祈りピアノに向かうと、となりにイエスさまが来てくださり、一緒に練習して下さっているのがイメージできるのです。そして、神様の憐れみによるサポート、パワーを指に感じるのです。それは、動きにくい指先が、なぜか指自身の意志を持って動いているような感覚でした。イエスさまの奇跡を私の上にも現してくださっているようでした。私はそのお別れ会での演奏を無事に終え、イエス・キリストの私たちの救いのための十字架と復活を受け入れ、私を造って下さった神様により頼んでいくことを決心しました。 「彼らが苦しむときには、いつも主と苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いてこられた。」(イザヤ書63章9節)。 今まで、いろんな場面で、常に守られてきたことが、この御言葉によって理解できました。すべて。私がピアノを引きつづける様にと、神様がご計画してくださったのだということを知り、心から神様に感謝しました。私が神様の愛を知るずっとずっと前から、神様は私を守り導いてくださったのです。私にハンディがあることを指摘され私にトラウマを与えた先生を、ときには恨んだりすることもありましたが、この先生と出会えなければ自分ひとりでこのハンディと戦い悩んだ末、ピアノを止めていたかもしれなかったことに気付かされました。実はこの先生との出会いも、神様が私に与えてくださったピアノを引き続けていくためのご計画のひとつだったのです。 これからも、指のことだけでなく、私の心の中の思い煩いをすべて知っていて下さる創造主である神さまから平安をいただき、少しでも神に喜ばれるものとして歩ませていただきたいと思います。 |