IV. 献身の証し - 岡田由美子 - 2007年6月

 私が一番最初に神様と出会ったとき、自分自身を神にささげたいという強い思いがありました。その後結婚、受洗し、サンデースクールや奏楽の奉仕をさせていただきましたが、次第にその強い思いはそれなりに充実した信仰生活の中で心のどこかに埋もれてしまいました。そんななか、神様はたくさんのノンクリスチャンの方と出会わせて下さいました。しかし話し下手のコンプレックスがあり、ほとんどの方とは自分からは積極的にイエス様のことをお話ししたり、証しをすることができないまま過ごしていました。 

 ある日、私はAさんというクリスチャンになったばかりの女性と話をしていました。ただの世間話をしていただけなのですが、私の言葉の使い方がまずくて彼女は少し不快な気分になったように見えました。考えすぎかもしれないのですが、その日は大変落ち込んでしまい家に帰って祈っている中でもなかなか平安が得られませんでした。が、その次の日もBさんという人と会うことになっていて、その交わりを前にして神様が言葉には気をつけなさい、と教えてくださっているんだと理解し、なんとか落ち着きました。しかし次の日、大変な試練のなかにおられるBさんに対してよい慰めの言葉が出てこないまま別れる結果になってしまい、自分の不甲斐なさ、弱さをはっきりと思い知らされ前日以上に落ち込んでしまいました。あんなに今日のために祈ってきたのにどうしてなんだろう、神様これはどういう意味なのですか…クリスチャンとして情けない、と泣きたい気持ちでした。 

 その週末、家の近くの教会である集会があり、暗い気持ちを引きずったまま参加しました。講師の先生のメッセージのなかで「神様は私たちに自分の弱さを直視させることがある。自分の弱さを徹底的に知らされた者でなければ、神の恵みがどんなに素晴らしいかわからない」というような内容のことを言われ、神様が私に教えようとしていたことはこれだったのか、と目が開かれる思いでした。そして集会後、話し下手で伝道できないので祈ってください、とその講師の先生にお願いしました。先生は按手して祈ってくださり、「あんた神学校に入らない?」とおっしゃいました。とっさに私は「はい」とお答えしてしまいました。去年あたりから聖霊様の導きだと思うのですが、朝起きた直後に「神様、今日私をあなたにささげます」という献身の祈りをするようになっていましたが、夫がいるため、神学校に入学するなんて思いもつかないことでした。そんなことは自分とはかけ離れたことだと思いこんでいました。しかし「はい」とお答えした後から召命の喜びが湧き上がってきて、それは今もずっと続いています。不思議なことにそれから神様の話しをしたり、証しする機会が多く与えられています。 

 先生に祈ってもらった3日後に神様は私の入学する神学校の卒業生の方を私の働いているお店にお客さんとして送ってくださり、その人はこちらから聞いてもいないのにその神学校のことをいろいろ教えてくださり、2時間近く私の聞きたかったことを話して帰られました。また、AさんBさんともその後すぐに会うことができ、率直なよい交わりを通して自分が考えていたことは杞憂に過ぎなかったのだとわかりました。 

 学費のこと、時間的なこと…と不可能に思えることがこちらがノブに手をかける前にドアが次々と開かれていくように、びっくりするような短期間のうちに神様は道を開き、いろんな人や出来事から素晴らしいアドバイスを与えてくださいました。これらのことを通しても召命をはっきりと確信せざるを得ませんでした。 

 一歩踏み出すために「弱さ」を使って導いてくださった神様に心から感謝しています。また、この召命が人間の思いではなく神様からきたものであることを理解し、祈り支えてくれる主人に感謝しています。