VII. 祈りに答えてくださる神 - 諸岡秀和 - 2007年10月

 18年前、夢と希望を持ってアメリカで働いた会社は、数ヶ月で計画倒産し全財産を失いましたが、年商数ミリオンの会社になるまで時間は掛かりませんでした。しかし、いつものように乱れた私の生活が始まりまた1文無しになりました。この後、娘が生まれ自分を変えようと考え、生活を正して死にもの狂いで仕事をし2~3年で従業員50人以上の会社にまでなりました。しかし、今度は自分ではどうしようもないトラブルが毎日のように起き、最後には極めつけとも言えるような事件が起き倒産しました。それでも、自分を信じ、偶像に手を合わせて頑張りました。今思えば、神の伴わない悔い改めに、本来の救いは無いと言えます。 

 数年で家を購入し、新しい会社も軌道に乗り始めた頃です。「もう、大きな夢は見ないで、今の生活を保とう」と思ったあとです。今までの人生で最悪の状況が始まったのです。 

 3年前、悲惨を絵に書いたような毎日が始まりました、まさに地獄の毎日です。そして耐え切れなくなり自殺を試みました。数日間夢の中をさまよってから帰ってきました。しかし、更なる地獄が待ってました。この頃の私の弁護士が「数ヶ月でこんなに沢山災難にあった人の話しはは聞いた事がないヨ、この内容を本にしたら、売れるんじゃない」とまで言われました。...今生きているのが不思議なくらいです。 

 殆ど食べることもできず、自分が生きているのか死んでいるのか解らないような日々でした。そして神に興味を持ち始めたころ、友人にガーデナのモーテルを紹介していただき、教会を捜すことにしました。ここから車で1,2分のところです。 

 今、思うことは、私は今までたくさんの罪を犯しました。「闘って運を勝ち取る」と考えてましたから。…だから、数え切れない程 他の人にツライ思いをさせました。大波の人生、上り調子の時に神から何度も注意されながらも 気づく事が出来ませんでした。その事が神の愛とも知らずに…、それどころか天に向かって「一体どうなってんだ!」と怒鳴った事もあります。神の愛に対して私は「神のいみ嫌われること」を数え切れないほどしました。 

 神はそんな私をみことばで丁寧に導いてくださり、去年の6月15日、洗礼を受けることができました。この頃から考え方に大きな変化がおき、私は主イエスの十字架によって救われたという確信を持てるようになりました。ヨハネ3章16節「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それはみ子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を持つためである」。同5章24節「まことに、まことにあなたがたに告げます。私のことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」 

 今まで大変だと思ったみことばの精読が少しずつ自然に行えるようになったことを神に感謝しております。しかしこのような状況になるまでには、たくさんの教会員の方に親切にしていただきました。特に大谷先生には毎日のように難問を尋ねましたが、丁寧に答えていただきました。また、Aさんは忙しいにも関わらず、毎日のように励ましていただきました。世間はお金と力がなくなると残酷になります。私はイザヤ41章9、10節のこのみことばで何度も救われました。「わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。『あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。』恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」 

 去年から通信教育で聖書の基礎を学んでいます。最近心から「楽しい」と言う気持ちで勉強できるようになったことを感謝しています。神は大きな愛を持って「いつもその人にとって最良の時」を与えてくださいます。例え人生で最悪の状況と思える時であっても、それは神の御心であり、その人の人生にとって必要な状況であると私は受け止めました。又、「神に信頼し、神と共に生き、御心に叶った生活」をする事が大切な事と考えました。神は私に「生きる」に必要なものは全て用意して下さり、「祈り」に必ず答えてくださいます。 

 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申命記6:5)」。アーメン。