私がキリスト教に関心を抱いたのは、昨年の2月、ある友人の教会での葬儀に出席したことがきっかけでした。 そこでは神様と共に生きておられ、まぶしいほどに光輝いている教会員の方々にお会いすることができ、牧師先生の力強いメッセージに心打たれ、キリスト教に心開かれていく自分がおりました。クリスチャンってなんと心温かな人たちだろうというのが最も大きな印象でした。 それから1カ月後、キリスト教についての自主勉強が始まり、はじめは歴史からスタートし、いろいろな本を読み始めたものの、分からないことばかりで、おまけに聖書を手にすると、さらに分からないことずくめで、理解するには到底無理だとあきらめたものの、キリスト教への関心はさらに深まり、ラスベガスの牧師先生宅を訪問し、お説教をお伺いしたり、カマリロの牧師先生にアドバイスを頂いたりとしていくうちに、岡田姉妹を知るようになりました。そして7月11日、岡田姉妹から紹介された、牧師の免許をもっておられる羽地さんからのお電話によって、信仰告白に至ったのです。 はじめは、電話で信仰告白だなんて、なんと神様に失礼かと思っていたのですが、お話をしていくうちに、「神様が玄関の前でドアをノックして待っておられますよ」と言われ、私は「どうぞ中にお入りください」と言ったのがまさに信仰告白だったのです。 電話口で羽地さんから「おめでとうございます」といわれた時は、あまりにも感動的で、思わず涙があふれ出てきていました。 告白後は大谷牧師先生の指導の下で、聖書の学びのためのクラスを受け、10月14日に洗礼を受けることになったのですが、元来、寒さと水が苦手な私にとって、全浸礼でのバプテスマに加え、天候の問題もあり、洗礼を受けることへのいささかの抵抗があり、本来、喜ぶべき洗礼がむしろ悩みの種となり、不安は頂点に達していました。 ところが、不思議なことに、洗礼式の前までは曇りがちで風も吹いていた天候が、式が始まる直前、風はやみ、空はさんさんと光輝き、あれほどまでに抵抗があった水への恐怖もなく、すんなりとプールに浸る自分がいました(これは後のビデオで分かったことです)。神様は本当にすばらしい恵みを与えてくださいました。 教会との出会いから洗礼までは、3ヶ月に満たないほどの短期間でしたので、知識も殆ど身についておりませんでしたが、すべては神様に従うと決心し、神様に祈るなら神様が働いてくださるということを、この時知りました。 そんな私の心に変化がおき始めたのは、そのすぐ後からでした。 以前なら、他人の批判をしても、罪とも何とも思わなかったことが、言った瞬間に、「あー、また言ってしまった。神様、ごめんなさい。」ということばが自然に出てくるようになったり、どんな理由であっても絶対許すことのできなかった人に対しても、寛容な心になって、愛することができるのは、神様の恵みと力によるものと感謝しております。 私はローマ人への手紙6章23節の「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ということばがとても好きです。なぜなら、この聖書の箇所を通して、自分が罪人であることを知り、イエス・キリストが私の罪のために身代わりとして十字架にかかり死んでくださったことがわかったからです。そして、その罪をイエス様は赦してくださり、このことによって私は永遠の命を与えられたことを確信しています。 神様はいろいろな方を通して、私をクリスチャンへの道へと導いてくださいました。まだまだ未熟なクリスチャンではありますが、まずみ言葉を学び、それを実践できるようにお祈りしていきたいと願っております。 |