もしあなたが、その人がよいクリスチャン・リーダーであるかどうかを知りたいと思うなら、あなたはその人の個人の祈りの生活以外のものに目を留める必要はないと以前から言われています。わたしもそのことに同意します。というのは私もそういうことの言える一人だからです。あなたが今そのことに同意できなくても、私の説教の後にはおわかりになることだとおもいます。 日語部の皆さんは私のことを恐らくご存じないと思いますが、私の母のモーリーのことなら知っておられるでしょう。彼女は今でもピアノやオルガンの奏楽者として日語部も含めて教会の奉仕をしております。また、中には私の父の西本春海を覚えておられる方もいらっしゃるかもしれません。父はこの教会の牧師として、1950年から1980年まで仕えました。 私はこの教会で育ち、日曜学校にも行きました。また10歳の時に私の父より洗礼を授かりました。10代の時には、聖書クラスで教え、ユースの活動を指導し、また日曜の夜の集会では説教もしました。私はこの経験を通して、リーダーシップに関するたくさんのことを学びました。神様はこの時私をリーダーとして、整えてくださったのです。 私はイェール大学を卒業し、さらにコロンビア大学のロースクールを卒業した後、ニューヨークにある社会サービスを必要とする日本人ならびに日系アメリカ人のための組織を立ち上げる援助をしていました。私はその組織であるJapanese and American Social Service Inc.(JASSI)のディレクターとして15年以上働きました。それから、主は私をLAに呼び戻し、IWAという組織のエグゼクティブ・ディレクターとしての仕事を与えられました。“いわ”とは“救いの岩”であるイエスキリストのことです。 この組織はクリスチャンの組織であり、25年以上にわたって、古来の伝統を持った日本人やアジアの人々に対して新しくかつ微妙な文化的方法をもって効果的な伝道や牧会を生み出してきました。私はこの組織で10年以上働いております。 私の父は私の一生の仕事を選ぶことに関して私に多大な影響を与えた人です。私は父がどのように説教したかだけでなく、どのように聖書研究や祈祷会を導いていたかも覚えていますし、また、結婚式や洗礼式、お葬式を執り行ったことも、更に父が英語クラスや市民権取得クラスを教えていたことも、また運転免許試験に合格するための助けなど、とにかく助けを必要とするどんな人にも仕えていたことを思い出します。彼こそ本当の仕えるリーダーと言えるのではないでしょうか。 そして私ですが、今まで職業にたずさわってきた期間の半分をJASSIで日系人のためにその実生活や、社会面での助けを行ってきました。そして、残りをIWAにおいて日系人の霊的な必要を満たすことに携わってきました。 どういうわけか神様は4人の兄弟の中の3番目の子供である私を選び出し、父の跡を継がせたのです。そして私は私も父が残してくれた遺産、すなわち彼の様な仕えるリーダーになることが出来るということが見えたのでした。 父は寡黙な人でした。それなので、父が口を開くとき、彼の言葉には重みがありました。彼の亡くなるおおよそ2年前、私は父に「どんな教訓を私たち子供に残そうと思いますか。」と尋ねたことがあります。すると彼はただ三言言っただけでした。“ Pray to Jesus(イエスに祈りなさい)”と。 私の父はとにかく祈りの人でした。そして私は祈りというものが真のリーダーシップを発揮するための鍵であると信じています。この3つの力ある言葉すなわち “Pray to Jesus(イエスに祈りなさい)’は私にとって14年前の2月、まさしく現実となって働くことになったのです。 私の父は心臓に出来た血栓が脳の血管につまり意識不明となってしまいました。私はニューヨークにいましたので、何も介護することが出来ませんでした。しかし父のためにイエス様に祈りました。そして、私の属している教会や、カリフォルニアにいる私の友人たちにもお祈りをお願いしたのでした。 父は倒れた日から八日目に肺炎を併発しました。息をするのも苦しそうでした。医者は今夜一晩持つかどうかわからないといい、私たちに父をICUに入れて人工呼吸装置を装着し延命措置をするか、モルヒネを打ってそのまま死なせるかの選択を迫りました。そのとき父は私に思わぬ方法を持って勇気を与えてくれたのです。 私があるものを探すために自分のファイルを見ていたときでした。私は父からの古い手紙を見つけたのです。父はこう書いていました。「私たちは春山牧師の奇跡的な回復のために祈らなければなりません。もし神の御心ならば彼はきっと癒されます。」 1980年の事です。私がニューヨークにいたときに通っていた教会の牧師ジャスティン春山は肝臓がんのためまさに死のうとしており、回復の見込みはありませんでした。しかし父はとにかく彼の癒しのために祈る事を勧めました。もし私の父が、春山牧師のために祈ることを勧めなかったら、彼は不治の病のために死んでいた事でしょう。 そこで私は、思い直して、ただ意識不明になっている父のために祈ることが出来ました。彼は私にイエス様に祈らねばならないのだという希望を与えてくれたのです。 そしてイエス様は父を生きながらえさせてくださり、私は11日目に父に会う事が出来ました。私がその日の朝早くICUを訪れたとき、私はそこでどんな事が起こっているか予想だにできませんでした。父はそこで横になっていました。目は閉じており管が体中に付けられており、人工呼吸器の助けをかりて息をしていました。医者は私にしゃべりかける事を促しました。それで私は父のそばに寄り、父の手を握り「お父さん、シリルですよ。いまニューヨークから来たよ」と。 父は動いたのです。そして、父が強く手を握り返したのがわかったのです。私は父に私が父のためにずっと祈り続けていたことを伝えました。そしてそれは父からもらった古い手紙の内容によって勇気付けられた事を父に感謝しました。そして私は神が父に与えられた日本人にキリストを伝えるという使命が、自分にも与えられた事を伝えました。父は更に強く私の手を握ったので、私の言った事がわかったのだと思いました。また私はイエス様が私を次に何をなすべきかを教えるために父のそばに連れてきてくださったのだということがわかりました。 そして私はもう一方の手を父の頭に置き父の脳の損傷が癒され、肺炎も癒されて意識が戻るようにと祈りました。 私は父を見ましたが、何の変化も起こっていないようでした。ただ手を握る反応があるだけでした。しかし私は神が私にここでなすべき事をさせているのだという事がわかりました。私は父のわずかな手の握り締めを感じながら、そこで立ち尽くすだけでした。私は父に愛している事を伝えましたそうすると父が何を言おうとしているかがわかりました。 わたしがそこから立ち去る前に、もう一つし忘れた事があるのを思い出しました。それはイエス様が聖書の中で癒しを行った箇所を読んでおく事でした。そこでイエス様は人々によく人々に次のような命令をされているのに気付きました。例えば「腕を伸ばしなさい」とか「あなたの罪は許された」とか「床をたたんで歩きなさい」などです。 そこで私は何かドラマティックなことが起こる事を期待しました。しかしその場で私の言える事は「目を覚まして」という事だけでした。でもそこでは父が目を開けたり起き上がったりする事はなかったのです。ただ父はそこで手を握り続けるだけでした。しかしその日の午後、あるすばらしい事が起こったのです。 私の家族が父の担当医に会ったとき、彼はとてもうれしい報告をしてくれたのです。初めてお医者さんに反応を示したということでした。お医者さんが彼に目を開くようにといったとき、ちちはお医者さんの手を握り、まぶたを震わせたようです。お医者さんは「小さな奇跡が起こった。」といいましたが、私たちにとっては大きな奇跡でした。神は彼を意識不明の状態から回復させたのです。 わたしの友人である、そのお医者さんは最初は回復の希望をまったく持てず、モルヒネを父に打つことを勧めたのでした。若い人であっても、意識不明の状態になっても3日以上経って後意識を回復することはまれです。けれども85歳の人が11日間も意識不明になって回復したことはまったくの奇跡としか言いようがありません。このことを通して、イエス様に祈るということがどれほど意味のあることか、かつて私が思っていた以上に私にはわかったのです。 その後2日間で、父の生命の兆しは更に強くなってゆきました。父の白血球の数は普通の状態に戻りました。ま他、父に尋ねたことに対して、うなずいたり、首を振ったりするようになりました。3日間の間、神は私と私の家族が父との交わりを持つ特権を与えてくださったのです。そして神様は父を御許に召されたのです。 私はこの時驚きと悲しみの中にありましたが、神様が私の祈りに答えてくださったことがわかっていました。すなわち父を意識不明の状態から回復させ、私と家族に父に別れを告げることをさせてくださったのです。 彼は死にました。けれど、神様は御恵みを持って、私たちに別れを告げさせてくださったのです。言うまでもなく、父はイエス様に祈ることがどんなにすばらしい力をいただけることかを教えてくれたのです。どのようにして、父はこのようなすばらしい勝利に満ちた人生の大切な秘訣を見つけることが出来たのでしょう。もちろん主の主であるイエス様から学んだに違いないと信じています。 イエス様はいつも祈っておられます。イエス様は死んだラザロをよみがえらす前に祈られました。またイエス様は病人を癒された後、5千人の人に2匹の魚と5切れのパンで食事を与えられました。イエス様は12弟子を任命される前に、一晩中このことを父なる神に祈られました。ゲッセマネの園においては、ご自身の命を十字架の上で犠牲として捧げなければならないことについてもだえながら血の汗を流して、激しく祈られました。そして人として最低のところまで下られ、十字架に付けられ、見捨てられ、また傷めつけられ、辱しめられ、そしてまさに死のうとされていたとき、「父よかれらをお赦しください、彼らは何をしているのかわからないのですから」と祈られたのです。 イエス様はその働きの前や後、決断するとき、また必要のあるとき、そして祝福をするとき祈られました。父が私に「イエスに祈りなさい」と助言したのは、父もイエス様が祈られたと同じように神に祈っていたという経験から言ってくれたのだと確かにわかりました。しかし何を何時イエス様は一人で神様に祈られたのでしょうか。 それはイエス様が弟子たちに何を祈るかについて教えられたところに見る事が出来ると思います。“主の祈り”を見ると、驚くなかれ、神様へのお願い事は半分以下で、半分以上は神を礼拝し、あがめ、たたえることばです。事実、私たちがまず神様に心を向けなければ私たちのことを祈る場に到達できません。祈りは神様から何かいただくものではなく、神様ご自身を自分の中に迎えて、神様が私の人生で一番必要な門なのだということを見つけることなのです。 神様に対して創り主や王や裁判官としてではなく、私たちの父親として相対して祈る時に私たちの心は神様に信頼し、また恐れのない親しい家族のような関係を感ずるようになります。そして祈りは自然と湧き上がるような神様との親しい関係を保つ方法でもあります。 祈ることは神様とそのみ業、またその御心を私たちの人生の中でまず第一とすることであり、また神のみ業とみこころをイエス様が私たちのすべてのもの、体やたましい、そして精神においてなしてくださることです。 私は20年以上にわたり自分自身の祈りのガイドとして、“主の祈り”を用いて毎朝30分ぐらい祈ります。 まず神様が私の父であり、私はその子とされたこと、また神様が私が思う以上に私を愛してくださることを認めることから始めます。それから神様を主権者なる方、全能のお方、永遠なるお方、義なる方、公正なるお方,愛なるお方、恵みに満ちたお方、そして私にとっては私の父を11日間の意識不明よりよみがえらせ再び私たちの家族に戻してくださった方、そして、私にJASSIとIWAの働きを与えてくださった方、また私をおぼれている川から救い出してくださった方と賛美します。 さらに、私は神様を全宇宙の王と呼び、私の家族一人一人にまた私の教会に、日本人に、日系アメリカ人に、全米にあるアジア系の教会に、また合衆国に、カナダ、ブラジル、日本にはたまた全世界に神の国が到来しますようにと願います。 そして、神様が私の人生に、そして私の家族の人生にその御心を成してくださるよう、また、ガーデナ、ロスアンジェルス、カリフォルニア、合衆国の一人一人のリーダーたちの上に神の導きがあるように願います。また家を火災で無くされた方たち、オイル価格上昇や住宅ローンの失敗のために経済的困窮の中にある人たちに助けがあるように願います。そして、景気後退の懸念や買いやすい適切な家のことや、教育、健康管理などすべてのことについて願います。そしてまた神様の御心が全世界に対して働いて下さることも祈ります。たとえばイラクではいまだ多くの人命が失われていること、津波によりおおくの東南アジアの国で命が奪われ、家が破壊されたこと、また日本では多くの人がイエス様を知らないことなども祈ります。 それから主の祈りにそって、自分自身の日々の糧(体の必要)や、私の罪と私たちに罪を犯す者(私の魂の必要)のため、さらに試み(誘惑)と悪(霊の必要)からの開放を祈ります。 自分の体のためには、健康や癒しすなわちあらゆる自分の体の問題のある部分や慢性の病気などについて祈ります。私の魂のためには、私の高慢や不親切、その他の私が犯した罪、また引き続き犯す罪について、そして、他の人が私に対して犯した罪を許すことについて祈ります。 私の霊のためには、神に対する愛がもっと増し加えられるように、また神様がなさろうとする事よりも私の心を捉えているものを捨て去ることが出来るよう祈ります。そして、私をサタンの攻撃より守ってくださるよう神様の武具・・・すなわち真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、信仰の大盾、救いのかぶと・・・を私に着せてくださることも祈ります。そして、私は神の言葉を携えて祈り、主にある兄弟姉妹が守られるよう祈ります。 安定した、意義深い個人的な祈りの生活を作り上げるのに、私は長い時間を必要としました。前はよく祈っている間に居眠りをしてしまいました。それは単に自分のことばかり祈っているときでした。しかし、それが本当に死に値する罪びとである私を神の家族としてくださるためにどれほどイエス様と父なる神様が犠牲を払ってくださったかを理解した時、全く変わりました。神様はだれのためでもなくただ私のために愛してくださり、ご自身を与えてくださったのです。ですから私も自分自身を出来るかぎり神に献げたいと思ったのです。そしてそれを祈りの中で実行しています。この祈りの時間無くして、私の霊的な心の支えをもつことはできませんし、リーダーとして力を発揮することも出来ません。 イエス様はまた実に多くの祈りの時間を他の人々のために費やされました。ヨハネ17章においてイエス様が弟子たちのために祈ったところを通してその事を垣間見ることができます。イエス様は弟子たちが父なる神を知り、その中にある喜びと愛を知るようにと祈られました、また彼らがイエス様と父なる神と一つになることも祈られました。そして彼らの人生を一変させた真実によってこの世から分かたれた者となる事やこの世やサタンから守られるようにも祈られています。イエス様は弟子たちを愛しておられたので、彼らのために祈られたのです。 わたしの人生を通して知っている一つの事実は父が私のために毎日祈り続けていてくれたということです。彼はその事を私に一言も言いませんでしたが、私はその事を知ったのです。そしてその事を私の父はイエス様から教わったのだと確信しています。 昭和3年(1928年)生まれの私の父は、最初小学校の教師をしていましたがそれをやめ、四国の幼稚園もある大きな教会に赴任しました。楽しくて良い教会だったそうですが、「ここは誰にでも出来るから。」と後任牧師が居なくて困っている、広島の山奥の教会へ自主的に代わり、そこで私は3番目の子供として生まれました。 それで、私は自分の家族一人一人のために祈る人となったのです。さらに、親しい友、IWAでの同僚、サポートしている宣教師、GVBCのスタッフ、私の知っているイエス様を信じていない人たち、癌で苦しんでいる知人、心臓病の人、その他の慢性疾患を患っている人のためにも祈ります。 それほど前の話ではないのですが、私は少しだけの人のためにしか祈っておらず、それも祈ったり祈らなかったりしていました。しかし、イエス様が私をある特定の人の必要のために安定してしかも継続して祈るようにさせてくださったことによって、この分野での私の人生が変わりました。 私の友達がある教会の牧師として仕えていたのですが、そのほかにも牧師がいてその人が教会分裂の危機の原因となっており彼は非常に霊的な圧迫をうけておりました。私は早速この教会を愛している二人の友人を誘って、彼をサポートするチームを作り彼と彼の教会のために毎日祈ったのです。その一年後奇跡は起こりました。その問題となった牧師は移動し、現在この教会は祝され以前にまして成長しています。 たった一人のために毎日祈り続けたことにより、私は他の人々の人生や私の上にイエス様が働いてくださる事を願っているのだと思いました。そして私はそのほかの人のことについても祈り始めました。まず始めにその牧師のために一緒に祈ってくれた2人の友人です。また今では、もっとたくさんの人のために長い時間を費やして祈っているのです。それは私の重荷とはなっていません。それは習慣になっています。しかし、ほとんどの場合私は自分が受けたイエス様の愛と助けを、イエス様が愛しておられる他の人々に届ける特権を授かっているような感じさえ受けるのです。 毎朝わたしは仕事を始める前、半時間ほどIWAの働きのために祈ります。それは日本人や、日系アメリカ人、さらにはアジア系アメリカ人がイエス様に心開き、IWAの働きにおいて、彼らをイエス様との関係に導く新しくかつ微妙な文化的道を見出すことが出来るよう神様に祈ります。また、それぞれのプロジェクト、わたしたちが導く研究会、私たちが作る小冊子などについても祈ります。そのほか一人一人名前を挙げてスタッフのため祈り、わたしたちの経済的必要が満たされるためにも祈ります。ほぼ毎年私たちは基本的なぎりぎりの予算に対しても、3万ドルもの不足に直面しているのです。しかし、神様は毎年助けを下さり、その危機をしのがせてくださいます。IWAは本当に信仰にある宣教団体です。 私はここで神様がどんなことについても私たちが祈ることを望んでおられるというお話をしないといけないと思います。それは大きなことについてだけでなく、ほんの些細なことについても、です。 昨年のことですが、映画を見るためにデルアモ・モールに行きました。映画の切符を持って、始まる45分前に到着したので、その辺りにある新しく出来た店を一回りしてくることにしたのです。30分ほどして、映画館に入ろうと思い、入り口の前でポケットに手を入れ切符を取り出そうとしてポケットの中にあった紙切れを出したところ、それは切符ではなかったのです。どうしたことかと思い服のすべてのポケットをあわてて探したのですが、切符は見つかりません。無くなっていたのです。気が動転しがっかりしましながらもう帰ろうと思って駐車場のほうに向かいました。しかしその時まだ時間があると思い、私しかわからないのだからもう一度来た道を戻って探してみようと思いました。 それで私はそれまでに入った映画館と同じ階にある店一軒一軒回りました。そして床を丹念に見て回りましたが、見つかりませんでした。そしてエレベーターを使って下の階へ行こうとした時私は自分がこのことについて祈っていないことに気づきました。そして「私は神様が切符を見つけてくれることを信じていないのだろうか、いや信じてる」と思いました。 そこで私は「主よ、あなたは切符がどこにあるかをご存知です。そして前にも失ったものを見つけてくださったことがありました。どうかこの切符も見つけてください」と祈りました。 私はエレベーターを降りると最初のほうに入ったエディーバウワーの店に入りました。そこにはそんなにたくさんの人は入っておらず女の人が子供の遊ぶのをみながら近くに座っているだけでした。そしてその店のドアー近くまで来た時、一枚のオレンジ色の紙切れが地面に落ちているのを見つけました。私はすぐさまそれを拾い挙げました。それはまさしく私が今から見に行こうとしている映画の切符だったのです。そしてそれは私が落とした切符に間違いありませんでした。これは今までに聞かれた最も早い祈りの答えでした。今でもこのことは信じがたいことです。 ですから、神様は大きいことすなわち85歳の老人が11日間の意識不明の状態から回復したこと、だけでなく、この無くした映画の切符を見つけてくださる事についても気に掛けてくださる方なのです。神様は事の大小を問わず、すべてのことについて、祈ってほしいと思っておられるのです。そして神様はイエス様が一人で山に登られ祈られたように、私たちにも毎日神と相対して祈る個人的な祈りの時間を持つよう望まれているのです。 また、神様はイエス様が弟子たちのために祈られたように他の人のために祈ることも望まれています。どうして、神様は私たちに祈ることを望まれるのでしょう。それは常に私たちがイエス様のもとに行き、私たちが自分の人生の中で願っている必要なものをイエス様のうちに見出すことを望んでおられるからです。 それでは皆さんたった10分でもいいから毎日2週間祈り続けてみませんか。10分というのは始めの5分間神様のことに心を集中し、後の5分を自分自身と自分の必要に関して心を集中して祈るのです。そしてまた、私たちが気に掛けている一人の人の必要について、その、彼または彼女のために毎日2週間続けて祈ってみてはいかがでしょうか。そして神様がそこからどのような場所に導いてくださるか試してみようではありませんか。 それでは皆様、人がよいクリスチャンのリーダーであるかどうかはその人の祈りの生活を見るだけでよいということがお分かりになりましたか。 私の父がアドバイスしてくれた“イエスに祈りなさい”という言葉によってあなた方がどのように力あるクリスチャンリーダーになるかを見てみようではありませんか。 |