詩篇75篇1節に、「私たちはあなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は近くにあり・・」とありますが、ダビデは神が近くにおられることに対する感謝を表しました。 私も感謝する多くの理由がありますが、その中で一つだけ選んでいいと言われたら、「日本人であるのに、救われた」ことを第一に選ぶでしょう。 これまで、およそドア・プライズや景品に当たったことがない私が、主に選ばれたのです。私にとっては不思議でしょうがありません。 この夏3週間近く、日本の実家に滞在してきました。私は名古屋市熱田区というところで生まれ育ち、今も両親が暮らしています。滞在中日曜日には実家からほど近い教会へ通い、礼拝を守らせていただきましたが、インターネットで調べてみると、その教会は区内唯一の福音派教会で、あとはカトリック系の教会が二つあるだけでした。 礼拝は80名ぐらいの方が出席されていましたが、私の地元であるのに誰一人として顔なじみはいませんでした。熱田区には6万4千人も住んでいるのに、福音派の教会は一つで、教会員は80人ほどです。この数字からも、日本人でありながら救われたことは本当に奇蹟に近いとしか私には思われません。 神の恵みとあわれみによって、私がどのように救われたのか、そして、その救いによって主から頂いた恵みについて証しさせていただきます。 私は大学卒業後、渡米しました。きっかけとなったのは教員採用試験に3年続けて落ちた事でした。それは就職をしないで、毎日勉強して望んでいた試験だったので、スッパリあきらめがつき、「ああ、もう私は日本でやりたいことがない」と思い、いとこがロサンゼルスに住んでいたこともあり、前から憧れていたアメリカに六ヶ月ぐらい滞在するつもりでやってきました。六ヶ月もすれば、英語が話せるようになり、日本で就職するにも便利だろうと軽く考えて来ましたが、現実はそう甘くありませんでした。それでもアメリカでの生活は楽しく、次に日本に帰国したのは六年後になってしまいました。 しかし、主が全てを導いてくださっていた事が今、振り返ってみるとよくわかります。私が「アメリカに滞在してイエス様を信じるようになる」というのが主のご計画だったのでしょう。ビザの更新からグリーンカードの取得、仕事など全て主が備え、守り、導いて下さっていたのです。 アメリカでの生活が8年ほど過ぎた頃、アメリカで一人で生活していくことに疲れを感じ、目標を失ったこともあって、もうそろそろ日本へ帰ろうかなと思い始めていた頃、主人に出会いました。三回目くらいのデートの時に、「僕はクリスチャンの女性としか結婚しないから。」と宣言されました。その当時、私はキリスト教については高校の倫理社会の授業で習ったぐらいで聖書も読んだこともなく、ほとんど何も知りませんでしたので、私は彼に「それじゃ、キリスト教がどんな宗教で、何を信じているのか、キリスト教について知るために教会へ行ってみる。そして、私がクリスチャンになるかどうかを決める。」と言いました。彼もそれでは、ということで一緒に日本人教会へ行き始めました。 それからイエス様を救い主と告白し、信仰を持つまでに2年ほどかかりました。私が主を受け入れることの大きな障害になったことは、「私を造り、愛してくださる神がいる」ということでした。日本で生まれ育ちましたから、日常の生活の中に神の存在はありました。初詣でに行き、苦しい時の神頼みではありませんが、人生の節目には神社に詣で、家にも1カ月に一度お寺から尼さんがいらしてお経をあげていました。本当に信じていたのでしょうか。気休めだったように思います。 また、バチがあたることを恐れて、神仏の前では頭を下げていました。神というのは何か、人を罰する恐ろしい存在という概念がありました。 「創造論」も進化論しか教えられてこなかった私にとって、信じがたいもので、全宇宙を造り、私を造った神がいるという聖書の教えは今までにまさに聞いた事も考えた事もない教えでした。それも愛をもって共に歩んでいてくださる。今までの自分の価値感と全く違う聖書の神のみことばを信じるには随分と悩み、時間もかかりました。けれどもイエス様は少しずつ私の信仰を導いて下さいました。多くの方のお祈りにも支えられていました。 信仰が与えられ、日々、主から頂いている一つ一つの恵みに感謝を捧げますが、その中でも特に三つ挙げたいと思います。 第一に死の恐怖から解放されたことです。私は小さい頃「死」というものをとても恐れていました。夜自分の部屋でベッドに横たわり、暗闇の中で自分もいつか死を迎える時が来る・・・。その一瞬というのはどんなものなのか、苦しいのか、どんな気持ちなのかなどと、自分が死ぬというその瞬間のことを考えると本当に恐怖に駆られました。しかし、今はすばらしい永遠の命が与えられています。 次にイエス様の愛に包まれて生活しているということです。 私はイエス様を信じてからも、イエス様の十字架の愛というものを頭の中で理解していても、感じることができませんでした。私を愛してくださっている?私の周りの人をイエス様が愛していらっしゃるのはよくわかるけど、この私を愛してくださっている?理屈抜きにそれを受け入れることはなかなかできませんでした。しかし、「チルドレン・オブ・ザ・ワールド」の孤児となった世界中から集まった12人ほどの子供達が全身で心からイエス様に賛美を捧げているのを見て、子供達に対するイエス様の愛を感じました。そして「ああ、イエス様はこの子供達一人一人を愛し、大切にされていらっしゃる。その同じ愛でこの私も愛して下さっているんだ」と心から思うことが出来ました。そしてスクリーンに大きく映し出された十字架を見ながら、イエス様の大きな犠牲の愛に包まれて、本当に喜びに満たされたのを覚えています。この愛を多くの方にも知ってもらいたいと願います。そのことは第三の恵みにも深く結びついています。それは「福音を伝える」という人生の目的を与えられたことだからです。 私が信仰を持った時、牧師先生がおっしゃいました。「あなたが信仰を持つ事ができたのは、Jeffがあなたに福音を語ってくれたからです。語ってくれた人がいたから福音を聞き、信じる事ができたのです。是非、他の人にも福音を語ってください」と。私は主人が福音を語ってくれたことは、私が主人に感謝しているNo. 1のことです。パウロは第二テモテへの手紙4章2節で、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」と命じています。 私の救いが神様のご計画の中にあったことを心から感謝しますが、先に救われた者としての責任の重みも感じます。こんなことがありました。土曜日にサンタモニカにある補習校で一日働き、帰りに冷たいものでも飲もうと補習校の近くのマクドナルドに立ち寄り、トーランスのNIJIYAに夕食の買い物をするために行きました。レジで支払いをする時になって、財布をなくした事に気づきました。きっとマクドナルドでソーダを買った時に失くしたに違いないと思い、再びトーランスからサンタモニカに戻りました。渋滞するフリーウエイを運転しながら、一日の疲れにさらに追い討ちをかけるようなことが起こり、また、これから起こりうる面倒なことを考えていると、本当に生きているのがつらく嫌になりました。「神様、なぜこんなにもつらい思いをして生きなければならないのですか。どんなに注意していてもミスはするし、もうイヤです。早くイエス様のところへ行きたいです」と心からそんな思いがどんどん湧いてきました。マクドナルドでは結局、財布は見つかりませんでした。そこで運転免許証を再発行するための手続きを済ませました。ところがなんとそれから2,3日後、郵便でその財布が届いたのです。20ドルの現金がなくなっていただけで、他のものは全て入っていました。これは神様からの答えだと思いました。「三奈子、今は私の所へ来るときではないよ。もう少しこの地上世界で私のしもべとして仕えなさい。でも私が共にいるから、何も心配しなくていいからね。」そんなメッセージを頂いたと思うのです。 かつての私のように、多くの人々が進化論をはじめ、真実でないことを聞かされ、それがウソであるとも気づかずに、その中で懸命に生活しています。自分の力を信じ、よりよい生活を手に入れようと毎日、努力している人も多くいらっしゃることでしょう。しかしその努力や苦しみが実となるでしょうか。 10月の上旬に補習校で、運動会が行われました。私は教員でもあり、保護者でもありました。自分の仕事をしながら、2年生になる長男、信太朗の競技を見ていました。彼は運動は得意な方ではなく、走るのも速い方ではありません。今年の徒競走はどうかなと思って見ていましたが、予想通り、最後から走っていきました。遠くから見ていたので、何着でゴールしたのか正確にはわかりませんでした。後で主人が彼に、「信太朗、よくがんばったね。ずっとラストで走っていたけれど、最後まであきらめずに走ったからゴール前ですぐ前の子が力を抜いてしまった時に抜かすことができたよ。お父さんは何着でゴールしてもいい。最後まであきらめずに走ったことがとてもうれしいよ。」と本当に嬉しそうに言っているのを聞きました。きっと天のお父様もこのような目で私たちを見ていてくださるんだと気付かされました。 「一着でゴールをしなくてもいい。私が与えた賜物を最大限に用いて、最後までしっかりと地上生活を送るのだよ。」と。 ピリピ人への手紙3章14節に「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために目標を目指して一新に走っているのです。」とあります。 いつか天に上げられたとき、イエス様が「よくやったね。」と賞賛のお言葉を掛けてくださる人生を歩むのが私の目標です。 |