V. 神の恵みを奏でる手 小堀英郎(ひでお) - 2009年9月

小堀英郎兄は日本より当教会の伝道イベントにゲストスピーカーとして招かれました。

 私は大阪市内でごく普通の商売人の家庭で生まれ育ちました。私の父親は音楽が好きな人で、暇さえあればクラシックやジャズのレコードを出しては聴いていた人でした。そして私を生んだ母は若い頃は現役のジャズ・シンガーでした。そんなわけで私の家庭は自然と音楽に親しめる環境でありました。ところが私が小学校6年の夏、色々な家庭の事情があり私の両親は離婚をしてしまったのです。そして私が高校2年生の夏、父は再婚することになりました。新しく迎える母はクリスチャンでした。その婚約式、そして結婚式でお世話になった教会が私の初めてのキリスト教会との出会いでした。

 その約半年後のクリスマスの頃、教会からクリスマス・パーティーのお誘いを受けました。私は大変お世話になった教会、やさしい人が沢山いた教会を思い出してでかけました。そこで同じような年代のグループがドラムとかギターやピアノをかき鳴らして、賛美と言うものが始まりました。「神様」とか「イエス様」、「ハレルヤ」、「愛します」とかキラキラして歌っていて、すごく新鮮味がありました。彼らの歌っている賛美と言うものをしているその姿に心を打たれ、私も音楽をやっていましたから、私もその中に入って一緒にやりたいなあという思いもありました。それから牧師にいろいろ尋ねました。「賛美っていったいどういう音楽ですか」、「もっとイエス様のことを知りたいです。いろいろこれから教えてください」と申し出ました。「いつでも小堀君の時間のある時に教会へどうぞ」ということで私は遠慮なく毎日のように夜教会の門をたたいて、牧師と色々なお話をさせていただきました。 

 そしてある日、牧師は私にこういいました。「小堀くん、イエス・キリストってね、神の独り子ということを知っていましたか」、「イエス・キリストは小堀くん、君のために十字架の上で死なれた方なんだよ」、「イエス様は死なれたけれども三日目に死人の中から蘇られて、あなたと今も共にいるんだよ。あなたのことを愛しているんだよ。」と。 

 それは牧師の説得力のある話ではなかったけれども、私はその夜イエス・キリストを受け入れたのです。牧師は祈ってくれました。そして私はその翌年のイースターに洗礼を受けました。音楽を続けていた私は念願の音楽大学へ入りました。そしてクリスチャン生活も楽しく、充実したライフを送っておりました。

 ところが大学3年生の秋の日に、私はオートバイで交通事故に遭いました。ぶつかった私は空高く上げられて地面に思いっきり叩きつけられました。翌日、病院で検査を受けたところ、手首の関節が複雑骨折を起こしていました。医者は「医学的な常識では、この部分を骨折した人はまず元通りに繋がらない。いやそれどころかお箸を使って運動とか、手紙を書くとかそのような日常の運動にまで影響する。もうステージに上がることは二度とできないでしょう。あきらめてください。」という診断でした。 

 たくさんの人に祈られました。私もそれをしっかりと受け留めて、主がこれをどのように導いてくださるのか、祈りました。いつものように聖書を開いてみことばを読みました。その日はヨハネの福音書の14章に至りました。 

 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(14:1)また「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安をあなた方に与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(14:27)というのです。このみことばは単なる耳にやさしい、心地のいいことばではない、生きておられる神様の後押しであるメッセージでした。私はなにかすごいことが起こりそうだという理由のない確信に溢れました。それが見事に的中したのです。 

 クリスマス・イベントが終わって、日本は大晦日を迎えようとする師走の慌しい日、わざわざ私一人のために病院を開けて診てくれた医者は驚きました。レントゲンを同じ角度から撮りました。繋がっていたのです。もうあきらめてくださいとまで言われ、医者も期待していなかったのに・・です。その医者は奇跡が起こったのかなと頭をボリボリかいていました。 

 私はこの体験を期に祈りました。「今までは世の中に認められ、競争に勝って、自分の名誉のために一生懸命頑張ってきた。でもこれからは違う。神を賛美するために、神の恵みを奏でる手としてこの手を生涯、あなたに献げます。この手はもはや自分の手ではない、あなたのものです。」と神様に献げたのです。 

 するとなんということでしょうか。3ヶ月後にはステージで演奏することができたのです。医者から「あきらめてください。もうコンサートは無理です。」と言われたのに・・・です。そして予定通りに大学を卒業でき、フランスにピアノ留学する道まで開かれたのです。 

 手が治ったから、奇跡が起こったからイエス様は素晴らしい、神を賛美するというのではなく、私の信じる神はこの小さな男のこの小さな骨の痛みまでも知っておられ、このどこの誰ともわからない男のたった一度の人生さえも無駄にはしたくない、滅びに行かせたくないという愛の神様であり、私を「小堀英郎」と名指しで、また皆さん一人一人の名前も名指して呼び続けておられる神であるということをこれからも分かち合いたいと思います。