私には現在15歳の息子と12歳の娘がいます。多くの母親の例に漏れず、母となってからの私の人生は子育てが全てでした。自分なりに一生懸命頑張っているつもりでした。でも、息子が思春期の難しい時期に入り、親子関係がぎくしゃくして行く中で、神様は私が実はとても傲慢な人間であることをはっきり示してくださいました。去年の10月のことです。この時のことは、長くなってしまうので、今回は省きます。とにかくその事をきっかけとして、私はクリスチャンとしての姿勢を正されました。 そんな時「祈りに励む会」に加えさせていただいたことはクリスチャン人生の中で本当に大きな恵みです。そうして祈りに「励む」ことによって神様との関係が深まり、息子との関係も改善された時、今度は私が「悪性黒色腫」という皮膚がんに罹っていることを知らされました。今年の3月中旬のことでした。不思議と冷静でいられました。連絡を受ける直前までの1週間、高熱を出した娘の看病に明け暮れていたせいかも知れません。素直に「これが子供でなくて、自分で良かった・・」と思えました。神様はそんな風に順序良く、私の心を守って下さったのだと信じています。 私達夫婦は保険に入っていなかった為、治療には最低10万ドルは掛かると知らされました。ひたすら神様に道を示して下さるよう主人と祈り、友人に相談して日本で手術を受ける決心をしました。自覚症状は全くありませんでしたが、検査結果はStage4で危険な状態であり、一刻も早い手術が必要でした。日本でも病院は混み合っていますから、すぐに手術してもらえるか分かりません。それでも「心配すること」が何よりがんの進行を早めると言われたこともあって、全てが良きに計られると信じ続けました。マルコの福音書11章24節の「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」を心に刻みました。私に出来ることはそれだけでした。 実は私達家族は元々春休みに日本の家族に会うのと観光目的で日本を訪れる予定であり、既に航空券は購入済みでした。その航空会社に勤めていた主人の友人が私の分だけ出発日を変更する手続きをとても敏速にしてくださいました。主人の妹は手を尽くして悪性黒色腫の第一人者である先生に診て貰うよう手配してくれました。着々と1週間の内に準備が進められていく中で、私は神様がこのことを通して何かをなさろうとしているように思えてきました。 がんと知って9日目には日本にいました。丁度その前に看護士の仕事を退職した主人の母に面倒を看てもらえました。このタイミングも私は偶然ではないと思っています。主人と子供達は予定通り、追って春休みに日本に来ました。私の手術前だったので、先生に許可をいただいて当初から考えていた京都への観光を実現させることができました。途中で名古屋近郊に住む、大学時代の友人宅に立ち寄った時のことです。彼女が車で出迎えてくれて開口一番にこう言いました。「丁度うちの車が壊れちゃってね、この車レンタルしてるの。でも、だから結貴ちゃんの家族全員乗せてあげられることになったんだよ。」それを聞いた時、もう私は神様のご計画の中に生かされていることを確信しました。そんなパーフェクトなスケジュールは人間がどんなに努力したって立てられるものではないからです。 親戚との交わりも楽しんで、主人と子供達はロサンゼルスに帰って行きました。そして私は入院、手術を待ちました。本当に沢山の方々が祈って下さっていることを聞かされて、私は平安でした。おそらくこれ程まで多くの方々に集中して祈っていただいた事は私の人生でなかったと思います。だから逆に結果が思わしくなくても、それは神様の御意志であるに違いないと思えました。「こんなに沢山の祈りが上げられたにも関わらず聞かれなかったならば、それはよっぽどそのあとの祝福が大きいからに違いない。だから私は先のことも、残す家族のことも心配する必要はないんだ。」との思いに導かれたのです。そしてただ「神様の栄光が現れますように・・」と心の中で繰り返しながら手術室に向かいました。 手術は成功しました。でも転移が無いと信じていたリンパ節に転移が見られ、その為に化学療法を日本で行うこととなり、正直落胆しました。でも「この往復にも神様のご計画がある。」と信じた時、治療に行くことに使命を感じるようになりました。この間、子供達がどれ程成長したか、詳しくは申し上げませんが本当に驚くほどです、というか、神様を恐れるばかりです。約1年前息子の事で涙を流して祈った願いに対し、神様は私が望んだ以上の、何倍もの強い絆を息子との間に築かせてくださいました。彼は今信仰に堅く立ち、一人の若いクリスチャンとして尊敬する程です。娘は洗礼を受け、日々信仰が深まっています。そして多くの犠牲を払って私を助けてくれる主人に対しては、これまでにない愛情を感じています。 私は今とても幸せです。確かに治療中で、経済的に不安定でありますが、家族の心が一つとなり、皆が神様を見上げているからです。こんなに大きな祝福を、私は特別なことは何もせずにいただけました。ただ心から祈り、全てを主に明け渡しただけです。 最後にこの御言葉をもって終わりとさせていただきます。 第一ペテロの手紙5章10節より「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」 |